『湯けむりの向こう側』 〜 To Heart 来栖川 綾香 〜





 目が覚めると、隣で寝ているはずの綾香がいなかった。
 薄明かりの中で時計を見ると、午前二時半をまわったところだった。
 そういえば、こっそり部屋を出ていった気配を感じたような気がしないでもない。
 一人だけ夜風呂に入りに行くなんて、ずるいやつだ。
 とは言っても、混浴ではないので誘われてもどうせ別々に入るだけなのだが…。
 ぼーっと待っているのも退屈なので、自分も風呂に入ることにした。
 ごそごそと身支度をする。
 綾香がいつ帰って来るか分からないので、鍵はかけないまま部屋を出た。
 ちょっと不用心だが、取られて困るようなものも別にあるわけじゃないし、大丈夫
だろう。
 いくつかの明かりが落とされ、暗くなった廊下を進む。
 さすがに、この時間になると誰とも会うこともない。
 ぱたぱたとスリッパの音を立ててロビーの横を抜け、大浴場へたどりついた。
 入り口を入ると、スリッパが一つだけ揃えて置いてあった。
 どうやら、先客がいるようだ。
 時間が時間だけにちょっと意外だったが、自分もこんな時間にきているわけだし、
人のことをどうこう言える立場でもない。
 気にせずに、脱衣所に入った。
 かごを一つ手元に寄せると、手早く浴衣を脱ぎ捨て、手拭い一つで浴場へ向かう。
 ガラガラと音を立てて扉を開けると、湯の匂いと熱気がオレを包み込んだ。
 先客の姿は、浴槽の奥のほうに湯けむりにかすんで見える。



「きゃあっ」
 甲高い声が上がる。
 この声は…女の?
「す、すいませんっ」
 思わず、反射的に謝っていた。
「間違えた…みたいです」
「その声…もしかして浩之?」
 湯煙の向こう側から、聞き覚えのある声がする。
「なんだ…綾香か」
「なんだじゃないわよ。どうして女湯に入ってくるの?」
「へ…?」
「ここは女湯。あ、浩之、旅館の人の説明ちゃんと聞いてなかったでしょ」
 …話が見えない。
「午前二時から、男湯と女湯が入れ替わるって言ってたの」
「…あ」
 思いあたるふしがあった。
 言われてみれば、そんな注意をされていたような気もする。
「じゃあ、だれか別の人が入ってたら」
「ま、のぞきかなんかと間違われてたところでしょうね」
「…あ、危なかったな」
「とりあえず、出ましょう。一人で上がって誰かと会ってもまずいから、あたしも
一緒に出るわ」
 ざばあっと音を立てて、綾香が湯舟から立ち上がる。
 胸と足の付け根を、小さなタオルと手で隠している。
 その綺麗な身体のラインは、ほとんどあらわになっていた。
 浴場内の明かりは、それなりに明るい。
 湯けむりも、視界を妨げるほどには出ていなかった。
 綾香のあとについて、脱衣所へと戻る。
 …当然のことだが、後ろまでは隠しきれていなかった。
 綾香の肉付きのいいお尻が、歩くたびに細かく揺れる。
 まとめ上げた髪の生え際から、背中のあたりまで、水滴が光を浴びてきらきらと
光っていた。
 浴衣の入れてあるカゴの前までくると、綾香は手早く身体を拭きはじめた。
 後ろから、綾香の火照った肌に触る。
「ちょっと浩之、状況考えてよね」
 身体を拭きながら、綾香がオレを叱りつけた。
「続きは、部屋に戻ってからでもいいでしょ」
 つうーっと、腰から首の後ろまで、背骨に沿って、指先で肌をなで上げた。
 びくりと、綾香の身体が震える。
「っ…」
 押し殺した吐息が、綾香の口から漏れる。
 その、瞬間。
 くるりと、視界が回った。
 衝撃とともに、背中に痛みが走る。
 目の前には、一面に広がる天井。
「もうちょっと節操持ちなさいよ」
「…そうする」
 頭の上から降ってくる声に、オレは素直に応える。
 天井から降ってきた水滴が、ぺしっという音とともに額に当たって跳ねた。



 かちゃ…ばたん。
 自分たちの部屋に、綾香の後に続いて入る。
「ん…もう、せっかちなんだから」
 部屋に入るなり後ろから抱きすくめたオレに、綾香が甘えた抗議の声をあげた。
「あっ…んんっ」
 抗議の声を無視して、オレは強引に綾香と唇を合わせた。
 舌を差し入れて、綾香の舌と絡めあう。
 浴衣のえりがあわさった中に、手を差し入れた。
 下着はつけていなかった。
 手のひらには、あったかい素肌の感触。
 胸に手をあてると、鼓動が手のひらを通じて伝わってきた。
「ダメだったら…浩之」
 首筋に口づけながら、右手を伸ばして浴衣のすそを割った。
 脚のつけねからつま先にかけて、白い肌が薄明かりの中にぼんやりと浮かび上がる。
 肉付きのいい内側の肌を、手のひらでさするようにしながら足のつけねへと導いて
いった。
 火照った肌が合わさるすき間にある、少しだけ濡れた体毛の中へと指を進めた。
 優しく、綾香自身に触れる。
 くちゅ。
 濡れた音を立てて、指先はなめらかな感触に包まれた。
「いやっ」
 燃えるように熱い。
 それが綾香自身の熱なのか、温泉の熱気によるものなのかは分からなかった。
「嫌がってても、感じてるんじゃないか?」
「そんなこと…ないわよ」
 かあっと頬を染めて、否定する綾香。
 だが、それが言葉だけのものであることは明らかだった。
 今度は黙って、右手を蠢かす。
「あっ…やっ…」
 それに反応するように、綾香の声が、時折高く部屋のなかに響いた。
 がくがくと、ひざが震えている。
 すがるように、後ろから回したオレの腕に綾香が寄りかかっていた。
 その腕の力を抜くと、それとともに身体ごと床へと落ちる。
 ぺたんと、床に座り込むような形になった。
「はあっ…」
 深く、息をつく。
 風呂上がりとはまた違う、上気した頬がかすかな色気を漂わせている。
 とろんとした瞳で、綾香がオレを見ていた。
 顔を寄せ、軽く唇を触れる。
 正面にあるオレの顔を、綾香の両腕がきゅっと抱きしめる。
「好き…」
 ささやきながら、仔猫のように頬をすり寄せた。
「好きなの…」
 うわごとのように、そう繰り返す。
「オレも…好きだぜ、綾香」
「きゃっ」
 腰と膝の下にそれぞれ腕を入れて、綾香の身体を持ち上げた。
 突然の動きに驚いた綾香が、首に回した腕に力を込めて抱きついてくる。
「よ…っと」
 そのまま、寝間の中へと足を踏み入れた。
 並んで敷かれた布団の上に、綾香の身体をそっと横たえる。
 立てられた膝に逆らうように、すそがはだけている。
 白い浴衣地の中から肌白く生えた二本の脚。
 その付け根にちらちらと見える…黒色の陰り。
 オレの腕の中にある綾香の身体が、オレの興奮をいっそう加速させていた。
「綺麗だよ」
「あんまり、見ないで」
 オレの視線を感じたのか、浴衣を巻き付けるようにして、あらわになっている脚を
隠そうとする。
「隠さないで…もっと見せて」
「う…ん…」
 耳元でささやくと、手足から抵抗する力が抜けていった。
 ひざを立てた脚に、手のひらで触れる。
 付け根から足の先まで、ゆっくりと手を動かした。
 生えているうぶ毛に、微妙な刺激を与えながら撫でていく。
「ん……ぁん…」
 ゆるみかかっている浴衣の襟元を、広げるようにして肩をあらわにした。
 うなじから肩口、鎖骨へと、流れるような白いラインが薄明かりの中に広がる。
 すでに乱れた浴衣は、申し訳程度に綾香の身体に絡み付いているだけだった。
 胸も下半身も、すでにその布の下に隠されてはいない。
 ゆるんだ帯に引っ張られるように、わずかに左右の腰の線を隠しているにすぎな
かった。
「イヤらしい格好、してる」
 愛撫を続けながら、きゅっと目をつぶった綾香に、からかうように声をかける。
「好きでしてるんじゃ…ないわよ」
 あえぐ声の合間に、抗議の声が返ってくる。
「浩之がさせてるのに…」
 顔を寄せると、まとめあげられた黒髪からは、なんとも言えない良い香りが流れ
てくる。
 シャンプーの匂いだろうか。
 それとも綾香の匂いだろうか。
 頭の芯がしびれるように、くらくらしていた。
 少し強引に、両足の間に身体を入れた。
「あっ」
 次に起こることを予想して、わずかに綾香の身体に緊張が走る。
「いくよ」
「…うん」
 小さく、しかしはっきりとした返事があった。
 身体を合わせた。
 少しずつ、綾香の中に侵入していく。
 十分に潤った粘膜が、張りつくようにして侵入を阻んでいた。
 その中を、ゆっくりと進む。
「ん…」
 綾香が、軽く息を吐く。
 何かに耐えるように、眉根を寄せて固く目をつむった。
 何度身体を重ねても、入っていく瞬間だけは、綾香は初めての時のような緊張を
見せる。
 怖い、のだそうだ。
 心でいくら想っていても、身体がそう反応してしまうらしい。
 だが、綾香はオレのために身体を開いてくれる。
 そのいじらしい姿が、可愛く、いとおしく思えた。
「綾香…」
 名前を呼びながら、髪の毛を優しく撫でてやる。
 奥まで、綾香と一つに繋がっていた。
 唇を合わせた。
 綾香の頬に指先を触れる。
 ゆっくり、動き出した。
「んっ…」
 上向きの、形の良い唇から、声が漏れた。
「あん…はぁっ…」
 絞り込むように締め付けるぬめりの中を動くたびに、綾香が声を立てる。
 しばらく、オレはその行為に没入した。
 中に大きく入ると、先が何かに当たるような感触があった。
「ひゃんっ……ぅん…」
 刺激を受けて、綾香がひときわ高い声をあげる。
 その声を聞きながら、ゆっくりと戻った。
 絡み付いた粘膜が、様々に形を変えながらオレを受け入れていく。
「あっ…あっ…あん」
 声と同期するように、震えるような微妙な刺激が起こった。
 包み込まれた自分自身に、先端から快感が走り抜ける。
「いいよ…綾香」
 取り憑かれるようにその感覚を味わいながら、オレは意識もせずに声を漏らし
ていた。
「綾香の中…すごくなってる」
「浩之…ぃ…」
 オレの声が届いているのかどうか、うわごとのようにオレの名を呼ぶ姿からは
判別することは出来なかった。
 頬は赤く上気し、息は荒く絶え絶えになっている。
 自らの吐息を押さえ込もうとでもするかのように、その口元には手が寄せられ
ていた。
 触れた指には、軽く歯が立てられている。
「あっ…そこ…は……やぁっ」
 綾香が、高ぶりを示すかのように、首を大きく振った。
 黒髪が幾筋か、宙に舞って首筋へとかかる。
 汗で、それは肌へと張りついた。
 身体が熱い。
 二人の荒い息が、重なり合う。
「あや…かっ…」
「ひ…ろ…」
 互いの名前を呼び合いながら、オレたちは同時に達した。



 火照った身体を、休めるように横たえた。
 自分のものと、綾香のものと、二人の荒い息が重なるように闇の中に響いている。
 手をさぐりあてて、指先を絡めあった。
 オレが力を込めて握ると、綾香も力を込めて握り返す。
「なぁ…綾香」
「ん……?」
 汗で頬にはりついた髪をけだるげに払いながら、綾香が応えた。
 首を動かして、顔を向ける。
 正面に、綾香の黒い瞳があった。
「…愛してるよ」
「ふふっ…どうしたの、突然」
 綾香が、オレの胸に手を当てる。
「なんかいま、唐突にそう思った」
「本当?」
「…もちろん」
「本当にそう思ってるのなら、もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃない?」
 綾香の指先が、オレの胸の上で何度も円を描く。
「浩之ったら…すぐ意地悪するんだから」
 すねた声を出して、ぷいっと横を向いてしまう。
「可愛いお姫さまには、ちょっかいかけたくなるだろ」
「お姫さま…ね」
 意味ありげに、綾香が沈黙する。
「ね、お姫さまは、わがままって相場が決まってるのよね」
 一転してはしゃいだ声。
 こいつがこういう声を出すときは、なにかたくらんでいる時だ。
「そう…だろうな」
 慎重に、言葉を選んだつもりのオレ。
「じゃ、お願い」
 上機嫌で、にっこりと微笑む綾香。
 耳元に、唇を寄せてくる。
「今日は、朝まで眠らせないんだから」
 少し照れながら、確かにそうささやいた。
「…ちょっと待った。なんかいつもと立場が違うぞ」
「あら、たまにはいいじゃない。一度言ってみたかったのよね、このセリフ」
 ぼふっ。
 綾香の身体が、オレの胸に飛び込んできた。



<終>
















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