『歩みを止めた森』 〜 GS美神Hパロ 第一話 〜


「一体どこまで行くんですかぁ、美神さん」  横島が、おずおずと美神に尋ねる。いつもと同じく、大量の荷物の重みがずっしりと 肩にかかっているのである。いくら除霊に必要で、持って行かなければ命にかかわると 納得はしても、その重さが軽くなるわけではないのだ。 「もう少しよ。もう少しで目的地につくから、荷物落とさないようにしっかりしててよ ね」  美神は、いつもとは違う、簡素で動きやすい服装をしている。その額にわずかな汗が にじんではいるが、何も持っていないせいか、疲れた様子などは微塵もなかった。  ──汗が光る美神さんも、やっぱり魅力的だな。なんか健康的なイメージで、いつも とは違う、さわやかな色気がなんともたまらん。  そんなことを考えながら美神の身体を眺めていると、美神がまるでそれを読んだかの ように、横島を睨んだ。  慌てて、横島は視線をそらしながら誤魔化した。 「それにしても、車も通れないようなこんなところに一体何があるっていうんですかねぇ。 騙されてるんじゃないっスか、美神さん」  横島の疑問は、当然と言えば当然であった。が、その言葉を押さえつけるようにして、 美神が言い放つ。 「どうせ急ぎの仕事はないし、最近セコい仕事ばっかりじゃない。もしこの話が本当で ないとしても、確かめに行く価値はあるわ。久しぶりに億単位のギャラなんだし」 「そりゃあ、美神さんはそれでいいでしょうけど、俺のほうは労働の量が変わってくる んスから……」  美神が、天使のように微笑んだ。 「あら、それならそうと早く言ってくれれば、別に無理についてくる必要なんてなかっ たのに」  微笑みを崩しもせずに、言葉を続ける。 「その代わり、明日から別の助手を雇うことになるけど……広告さえ出せば、希望者な んて掃いて捨てるほどいるんだからね」  いつもの脅しではあったが、効果てきめん。横島の顔から、見る見るうちに血の色が 失せた。 「そ、そんなぁ、美神さんつれないこと言わないで下さいよ。俺と美神さんの仲じゃな いっスか」  横島の情けない声に反応して、美神の瞳がキラリと光った。 「どんな仲だっていうのよ。いい加減なこと言っているとただじゃすま……」 「ま、まぁまぁ二人とも。こんなに空気のいいところに来れたんだし、喧嘩なんてやめ てくださいよ。休養に来たと思えばいいじゃないですか」  険悪な雰囲気を察して、先程から黙ったままだったおキヌが言葉をはさんだ。  確かに、いい環境だった。排気ガスもなく、都会の喧騒もなく、時間すら忘れさせる ような、澄んだ空気とのんびりとした雰囲気があった。 「金持ちっていうのは、こういったところに住みたがるもんなのよ。ほら、無駄口叩い てないでとっとと運びなさい。あんまりサボってると時給下げるわよっ」 「あ、あんまりや……」  がっくりと落ち込む横島とは逆に、おキヌは少しはしゃいだ気分だった。  おキヌは、この場所がすっかり気に入っていた。美神さんの事務所がある都心とかい う場所もそれなりには好きだったが、生まれ故郷と同じ匂いが、いまいる場所からは感 じられたのだ。  草木の匂いなんだろうか。事務所の近くにも緑はあったが、こことは比べ物にならな いほどわずかしかなかった。  ──横島さん、こういった場所が嫌いなのかな?  嫌いなのではなく、横島にはそれを楽しむだけの余裕がないのだということには、お キヌは気付いていなかった。  目的の屋敷についた頃には、横島はへたり込みそうになるほど疲れきっていた。美神 とおキヌは、当然のごとく平然としている。  迎えに出てきた執事に部屋に案内され、やっと荷物から解放されてほっとする横島に、 間髪を入れずに美神の言葉が降りそそいだ。 「ほら、これくらいの運動で疲れているようじゃゴーストスイーパーはつとまらないわ よ」 「……そんなこと言うんだったら、荷物を持ってあの道のりを歩いてみて下さいよ」  不満そうに横島が文句を言ったが、当然それは無視された。  三人(二人、だろうか?)が通されたのは屋敷の応接間らしい部屋であった。屋敷の 主がまもなくこられますから、といい残して、すでに執事は部屋から退去していた。  しばらくして、上品な老婦人が姿をあらわした。横島の守備範囲内からは、少しばか り外れている。  それでも、疲れからとち狂って言い寄ったりするのではないかと美神はちょっと危惧 していたが、どうやらそこまで意識が朦朧としているわけでもないようだった。 「よく、おいで下さいました。大変だったでしょう」  老婦人が口を開いた。気品のあるその口調と整った顔立ちから、横島は婦人の若い頃 を想像して少し残念がっていた。  ──もうあと四十年、いや三十年早く俺と出会っていれば、きっと燃えるような恋に 落ちたに違いないのにな。  煩悩は、少々の疲れで消えるようなものではないところが横島の長所ともいえる。 「お願いしたいのは、この屋敷……いえ、この森に巣食う幽霊の除霊なんです」  言葉が継がれるまで多少間があったため、美しく上品な女性と恋に落ちてあんなこと やこんなことをするところまで想像していた横島は、その言葉で現実へと引き戻された。 「森……ですか。でも、私たちが来る時にはなんともなかったようですが、一体どんな 状態なんですか?」  美神が、当然の疑問を発した。いくら気を抜いていたとはいえ、森全体を覆い尽くす ような巨大な霊が存在していたとするならば、見逃すはずはなかった。とすれば、自分 たちがここに来る間、その霊は気配を消していたか、あるいは森に存在していなかった ということになる。  どちらにせよ、面倒な仕事になりそうだった。 「開発による破壊を防ぐため、このあたりの森はすべて私が所有しております。車が通 れる道がないのもそのためです。文明の感じられない場所に住むことが、私の長年の夢 だったものですから」  若い頃を思い出しでもしたのか、老婦人は窓の外へと視線をさまよわせ、言葉を止め た。 「ですが、いつからかこの森がおかしいことに気付きました。私の望みが、あまりにも 実現しすぎていると。この森の中では、時の流れというものが存在していないのです」 「時の流れ……ですか。確かにのんびりとはしていますけれど、別にそれが霊の仕業だ というわけではないんじゃないですか?」  美神が、不信そうに口をはさんだ。いくらギャラがいいとはいえ、老人のぐちを聞き にここまで来たわけではないのだ。 「いえ、のんびりしているというのとは違うのです。この森の中では、すべての変化が 無くなってしまっているのです。季節もなく、樹木が生まれたり枯れたりすることもあ りません。すべての生き物が、まるでその時間で固まってしまったかのように、息吹が 感じられません」  老婦人が、その手を自らに向けて問いかけた。 「美神さん……とおっしゃいましたか。私の年齢が、いくつくらいに見えますかしら?」  突然の問いかけに戸惑いながらも、美神は答えた。 「感じたままを言わせていただけるのなら……六十歳前後に」  その答えを聞いて、老婦人は肯いた。 「そんなところでしょう。しかし、私は今年で百五十歳になります」  思わず、横島は息を飲んだ。四十年早くても一緒なのではないかという、先程の妄想 を否定する恐ろしい思いとともに。 「むろん、私は普通の人間です。百五十年も生きられるはずがありません。これも、こ の森の力なのです」 「失礼かもしれませんが、それならばなぜ今になって除霊をしようとおっしゃるのです か?」  半信半疑の表情を浮かべながら、美神が聞いた。 「正直に申しますと、最初のうちは喜んでおりました。不老不死というものは、望んで も手に入るものではないですからね。ですが、しばらくして季節の変化すらもないこと に気付いてから、その喜びは消え去りました」  顔の隅にかすかに宿ったのは、絶望の表情だったのだろうか。それは一瞬のことだっ たので、美神には分からなかった。 「今日も明日も明後日も、この森の中では変わらぬ時が流れるでしょう。変化への希望 が一切ない世界の中で過ごすのがどんなにつらいものか……。それが、この森では九十 年も続いているのです」  老婦人は、言葉を切った。その顔からは、一縷の望みを美神に託しているのが見て取 れた。まるで子供が母親に泣いてすがるような顔だった。  それを見て、美神はすでに依頼を受ける気になっていた。人情的に老婦人を見捨てた くなかった……というよりは、心底困り果てている依頼人がギャラに対して寛大だとい うことを経験的に知っているからであった。 「任せて下さい。あたしたちがここに来れたということ自体が、変化を呼び起こせると いう確かな証拠なんですから」  体の中から湧き出るような力を感じながら、美神は立ち上がった。 「いくわよ、横島くん。おキヌちゃん」  森の中を、横島は見鬼くんを持ちながら一人で歩いていた。 「まったく、何が『いくわよ』、なんだか」  横島の脳裏に、先程の屋敷の中でのシーンが浮かんでくる。  霊の存在を感知するまでは助手の仕事だと、美神は見鬼くんを横島に押しつけて、さっ さと用意された部屋に行って休んでしまったのである。  おキヌちゃんはおキヌちゃんでこの森が気に入ったらしく、散歩してくるといって出 て行ってしまっていた。 「俺は、なんて不幸なんだああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ」  思わず声を出して叫んでいたが、別に聞く相手もいない森の中である。気にすること なく、横島はとぼとぼと歩き続けた。 「それにしても、さっきはそうも思わなかったけど結構不気味なところだな」  横島の脳裏に、先程の老婦人の言った言葉が思い出される。  ──二十歳くらいの時にこの森に移り住んでくれば良かったのに……。  考えていることは相変わらずだった。  と、突然見鬼くんにすさまじい反応があった。この反応は……背後に!?  横島が振り向こうとするよりも早く、その視界になにかの影が映った。そして、後頭 部に強い衝撃を感じるとともに、横島の意識は深い闇の中へと落ちて行った。何が自分 の身に起きたのか、まったく知ることもなく……。  森の中を歩き回っていたおキヌの視界に、ふらふらと歩く横島の姿が映った。 「あれ? 横島さんどうしたのかな」  ──美神さんに言われてテイサツとかに出ているはずなのに。  何かが、おキヌの心に引っ掛かった。横島の足元がおぼつかないのも気になったが、 それ以上に何か大変なことが起こっているのではないかという気がしたのである。  おキヌは、横島に近づいて行った。 「横島さん、どうかしたんですか?」 「あ、おキヌちゃんか。なんか頭がボーっとして変な気分なんだ。一度屋敷に帰って薬 でも飲んだほうがいいかもしれ……」  そこまで言ったところで、横島は不意にめまいを感じてよろめいた。体が宙を泳いだ のを見て、思わずおキヌが横島の肩をつかもうとする。  おキヌの腕に身体を支えられた瞬間、妙な違和感が横島の中に走った。肩口に、おキ ヌの柔らかな指が触れている感触が感じられたのだ。  ──おキヌちゃんの……指!?  実体を持たない幽霊であるはずのおキヌに触れているというのは、奇妙な感じだった。  ──俺、さっき頭打ったような……気を失って、夢でも見てるのかな。  現実を把握しきれずに、しばらくの間、横島はぽかんと口をあけたまま立っていた。  おキヌも、同様だった。手を触れた時、おキヌの手のひらにも、横島がいつも着てい るGジャンの感触が確かに伝わっていた。  ものに触れること自体は、おキヌにとってさほど難しいことではない。美神の手伝い をしたり買い物に行ったりできるのも、そのためではあったのだから。ただ、横島の服 をつかんだ時、普段とは違う感触を感じたのだ。それは、おキヌと同じ世界の、霊体に 触れる感触だった。 「よ、横島さん、まさかとは思いますけど、死んじゃったん……ですか?」  おキヌは、恐る恐る聞いてみた。それを聞いて、ほうけたままの横島が我に帰った。 「え!?」  ──ど、どういうことなんだ。死んだ……って、俺が?  横島は、パニックに陥りそうな自分の心を、何とか落ち着かせた。頭を打ったせいで、 夢でも見ているのかもしれないという可能性に望みをつなぐと、気分はいくらか楽になっ た。 「おキヌちゃん、どういうことなんだ?」 「あ、あの……横島さんの身体にさわったら、私と同じ霊体の感触がするんです。それ で、横島さんが幽霊になっちゃったのかと思って」  そのまま固まってしまった横島を見て、おキヌが慌てたように言葉を続けた。 「あ、でも、幽霊も楽しいですよ。不便なこともいくつかあるけど、そのうち慣れます し」  すでに、横島の耳にはおキヌの言葉が届いていなかった。確信はないものの、自分が 死んだのかもしれないというショックが、自動的に横島の脳の働きを止めていた。 「死んでなくて、霊体だけが肉体を離れてる、ユウタイリダツってのかもしれないし… …だから、別に悲観することもないし……あれ、横島さん、どうしたんですか?」  おキヌの声で、横島は我に帰った。おキヌはずっと喋りつづけていたらしいが、横島 の耳には一言も届いていなかった。聞いていれば、自分が生きている可能性があるかも しれないということに、横島は気付いたかもしれなかったのだが。  ──き、きっと夢だよな。それにしても、リアルな夢だな。おキヌちゃんに触れられ るなんて、自分でも驚いたし……そうだ、さわれるってことは、もしかして。  勝手に結論を導き出した横島に、邪な考えが湧き起こっていた。取り合えず煩悩に走っ てみるのが、横島の逃避手段であった。 「お、おキヌちゃん」  声がかすれているのが、自分でもわかるような声だった。おキヌの指が、手を伸ばせ ば届く距離にあった。  横島は、腕を伸ばしておキヌの手を取った。手のひらを重ねると、さらりとした心地 好い女性的な肌の感触が、ほのかなぬくもりとともに横島の手のひらに伝わってきた。 「横島……さん?」  ──幽霊……か。こうしてさわっていられるっていうのに。  おキヌが、戸惑った顔で横島を見た。それをそのままに、横島はおキヌの手を引き寄 せて、自分の頬に当てる。 「おキヌちゃんの手って……暖かいんだ」  それを聞いて、おキヌの顔がほのかに赤く染まった。突然の戸惑いよりも、横島の体 のぬくもりを感じられたことによる嬉しさの方がまさっていた。  ──普段なら、横島さんにさわっても何も感じないのに。私、どうしたんだろ。  理由が分からない幸福感の中に、おキヌはいた。横島が、自分と同じ世界にいるとい うのが嬉しかったのだろうか。それとも、いつもと違う横島の存在感が嬉しかったのだ ろうか。  不意に横島が、腕を伸ばしておキヌの頭を引き寄せた。次の瞬間、二人の唇は触れあっ ていた。横島の手が、首のあたりから耳の下を通ってあごの線に触れる。  おキヌの身体に電流のようなしびれが走った。心地好い、春の野原にいる時のような 幸せを感じながら、おキヌは驚いていた。  ──私、横島さんと接吻してる。  そう思った瞬間、おキヌは頭の中が、まるで全身の血液が流れ込みでもしたかのよう に熱くなるのを感じた。 「おキヌちゃん……」  横島の唇は、気付かぬ間におキヌの唇から離れていた。 「可愛いよ」  耳元で、横島の声が聞こえる。おキヌは、身体が熱くなるのを感じていた。横島の熱 い吐息が、おキヌの耳をくすぐっている。 「嬉しい……」  なぜ横島に触れられることが嬉しいのか、おキヌの頭にはすでになかった。ただ、横 島の言葉だけが、頭の中でこだましていた。  ふたたび、唇が触れ合う。その感触とともに、おキヌは目をつぶっていた。横島の両 手が、おキヌの身体をかき抱いている。おキヌは、自分でも気付かぬままに、自由になっ た両手で横島のGジャンを握り締めていた。  唇が離れ、一瞬のちに首筋に暖かい感触が押し当てられた。徐々に下へと降りていく ぬくもりは、おキヌの中に新たな感じを産み出した。 「あっ、横島さん……」  ぬくもりとともに、身体に回された両腕も少しずつ下がっていった。おキヌの着てい る巫女の着物の、腰のあたりに回されている。横島の唇は、おキヌの髪の生え際に触れ られていた。  Gジャンをきつく握り締めているおキヌの手を覆うように、横島の左手が触れた。 「好きだよ」  おキヌの瞳をまっすぐに見つめて、横島がささやいた。おキヌの顔が、ふたたび真っ 赤に染まる。 「あの、その、横島さん、その、私……」  しどろもどろになりながら、おキヌは言葉を続けた。横島の瞳が、まっすぐにおキヌ の瞳を見ていた。 「私も、横島さんのこと、大好きです」  言い終わって、前よりもいっそう赤くなったおキヌを見て、横島はおキヌの手を取っ ている左手に少し力を込めた。  次のくちづけは、前のそれよりもかなり長かった。 「俺……おキヌちゃんが欲しい」  ためらいがちに、横島が言った。 「え……」 「いい、かな?」  横島は、ありったけの想いを込めておキヌを見つめた。 「あの……私、モノじゃないからあげるわけには……」  だああっ。声にならない叫び声をあげながら、横島は派手にずっこけた。  ──そーだ、そういえばおキヌちゃんはこういう娘だった。 「いや、そうじゃなくて俺はおキヌちゃんのことを抱きたいと……」 「さっきから抱いてもらってますけど……?」  無邪気な顔で、おキヌが答える。少し赤みがさしたその顔は、横島の情念に火をつけ るのに十分な可愛らしさを持っていた。  ──俺、幽霊になったことに感謝しなきゃいけないのかもな。おキヌちゃんがこんな に可愛いなんて、これまで思ってなかったし。 「おキヌちゃん、俺のこと信頼できるかい?」  真顔で、横島は問いかけた。 「もちろん……横島さんのこと、好きですから」 「なら、俺にまかせてもらえないかい?」  おキヌが、こくりと肯いた。自分の中に生まれていた、何かを感じていたのかもしれ ない。普段ならすぐに忘れ去られるはずのものは、上昇した体温とともにおキヌの身体 の中に残っていた。  横島の手のひらが、着物の上からおキヌの胸を包んだ。 「あっ、横島さんなにを……」  その問いかけに、横島は逆の手の指を唇に当てて制した。そのしぐさで先程の約束を 思い出したのか、おキヌはきゅっと目をつぶって横島に身体を任せる。  横島の指が、柔らかなおキヌの胸を捕らえていく。着物の上からとはいえ、その感触 は心地好いものであった。  ──生きてて良かった。いや、死んでるのか。  よく分からない感動とともに、横島はおキヌの胸の感触を楽しんでいた。すでに、先 程まで思い悩んでいた自分の状況などは、すっかり頭の中から消え去っていた。  横島のあいた手が、おキヌの着物の帯に伸びる。少し力を入れるだけで、それははら りと解け、地面へと落ちた。 「あ……」 「おキヌちゃん、着物を脱いで」  横島が、軽く唇を触れながらささやいた。魅入られたように、おキヌはその声にした がって身にまとっていたものを脱ぎ捨てる。  その間に、横島も服を脱ぎ終わっていた。 「恥ずかしい……」  頬をほんのりと桜色に染めて、おキヌが顔をそむけた。そんなしぐさを目にした横島 の中に、これまでおキヌに感じていたのとは違ういとしさが生まれていた。  ──なんだかんだいっても、おキヌちゃんをこれまで異性としてちゃんと見たことな んてなかったからな。でも、いまは……  そんな思いを込めるように、横島はありったけの力でおキヌの美しい裸体をかき抱い た。おキヌのぬくもりを、おキヌの心臓の鼓動を、おキヌの肌の感触を全身で感じてい たかったのだ。  おキヌも、同じような想いを抱いていた。横島のぬくもりと、鼓動と匂いが全身で感 じられるのがたまらなく嬉しかった。  まるで横島と触れ合っている肌の表面から、全身に向かって電流が発せられてでもい るかのように、おキヌには感じられた。  ──好きな人と一緒にいるのって、こんな感じなのかな。  これまでおキヌは、触れられる異性を好きになったことなどなかった。幽霊になる前 には異性から隔絶された生活を送っていたし、横島と会ってからは……そう、美神と一 緒に働くようになってからは、「好き」な対象は常に横島であった。  おキヌが、横島の背中に回している両腕に力を込めた。必死にしがみついていなけれ ば、横島の身体が今にも無くなってしまうような思いに、おキヌはとらわれていた。  横島が、おキヌの長くさらさらとした髪に指を通した。髪の生え際、うなじのあたり から腰のあたりまで、その感触を楽しみながらゆっくりと梳く。おキヌは、何かに耐え るような表情のままぎゅっと目を閉じていた。 「おキヌちゃん……綺麗だよ」  横島の指が、そのままおキヌの腰から首筋へと、背骨をなぞるように肌の上を滑る。 その瞬間、おキヌの身体の中に軽い電流のようなものが走った。それが、おキヌの身体 を熱く火照らせ、横島への想いを強くする。 「あっ、横島さん……私、なんだか……」 「そのまま、楽にして」  横島の指が、幾度となくおキヌの背中を往復した。その度に、ぞくぞくするような心 地好さが、触れられているその部分からおキヌの全身に広がっていった。 「んん……あ……」  自分でも知らないうちに、おキヌの口からは言葉にならない音が漏れていた。それに 気付いて、おキヌは顔から火が出るような気恥ずかしさを覚えた。  ──横島さん、私のこと変に思ったりしないかな。  その、おキヌの思考を読み取ったかのように横島が微笑み、軽いくちづけのあと、お キヌの耳元で可愛いよ、とささやいた。  今度は耳まで真っ赤に染まったおキヌの腕から力が抜けた瞬間、横島は身体を動かし ておキヌの背後に回っていた。その細い身体からは想像も出来ないほど豊かな胸を、横 島の手のひらがすっぽりと包み込む。  ──なんて柔らかいんだろう。  握り締めたら、そのままどこまででも指が沈んでいきそうな感触だった。その誘惑に 耐えきれずに、横島は胸を包んでいた指に力を込めた。 「きゃっ」  おキヌが、驚いて軽く悲鳴を上げた。 「あ、ごめん……痛かった?」  横島の声が、後ろからおキヌの耳に届いた。声を発している主の、姿は見えない。 「ん、いいえ、ちょっとびっくりしただけですから」  正直なところ、力を込められると同時に多少の痛みは感じていた。しかしそれよりも、 胸の先からしびれるような感覚が身体の中に溶けていった、そちらの方におキヌは驚い ていた。  その返事を聞いて、横島の指が遠慮がちに動き出した。おキヌの胸を、様々に動きを 変えながら揉みしだく。強く弱く、全体を包むかと思えば胸の先だけを刺激し、下から 持ち上げ、上から覆いつくして。  まるで胸から染み出すように、じわりじわりとおキヌの全身にしびれが走っていった。 横島の熱い吐息が、おキヌのうなじにかかっている。  ふいに、強い恐怖に駆られ、おキヌの両手が横島の身体を求めて宙をさまよった。先 程感じ、しばらく消えていた横島を失ってしまいそうな恐ろしさが、おキヌの中にふた たび生まれたのだった。 「横島さん……横島さんっ」  泣きそうな声で、おキヌが叫ぶ。しばらく不規則に空をさまよったおキヌの手に、何 かが触れた。  横島の手だった。そのまま、横島はおキヌの手を自分の頬に導き、自分の手を重ねた。 「どうしたんだい……おキヌちゃん」  驚いた声で、横島が聞いた。少し詰まった声で、おキヌが答える。 「横島さんの身体が、どこかに行ってしまうような気がして……すごく恐かったんです。 いまこうして私と一緒にいてくれているっていうのに、変ですよね」  涙がにじんだ目を拭いて、おキヌが言葉を続けた。 「横島さん……私が横島さんの身体を確かめていられるように、私の前にいてください。 その代わり、横島さんの好きなようにして、かまいませんから」  横島が、おキヌの頭を軽く撫でて、身体を入れ替えた。 「これでいいかな」  待ちかねたように、おキヌが目をつぶったまま横島にしがみつく。その手が震えてい るのを感じとって、横島はおキヌの頭を撫でている手に力を込めた。  ──可愛い。  こんな時だが、横島はそんなことを考えていた。おキヌに対するいとしさが、いっそ う強まっていくのが感じられた。ひとつになりたいという欲求が、身体の底から呼び起 こされ、横島の脳髄を貫いていった。  横島は、身体を少しずらすと、手でおキヌの腰に触れた。びくっと反応こそしたもの の、おキヌは目をつぶって腕に力を込めたままだった。  そのまま、横島は手を足の方まで下ろしていった。おキヌが、何かを感じたのかまぶ たをぎゅっと寄せる。その手を、横島はおキヌのももの内側に滑り込ませた。 「あ……」  おキヌが、甘い吐息を漏らした。横島の背中に回した腕に、知らず知らずのうちに力 がこもっていた。  横島の指には、それまでよりもいっそうなめらかな肌の感触が感じられていた。その 感触を楽しむかのように、横島はゆっくりと手を動かした。 「んん……横島さん」  おキヌが、わずかにまぶたを開けて横島の頬にくちづけをした。いちど身体の力を抜 いて安心したような笑顔を見せると、ふたたびぎゅっと自分の身体を横島の身体に密着 させる。 「おキヌちゃん……痛いよ」  横島が、笑って言った。それを聞いて、おキヌは思わず腕に込めていた力を抜いた。  その隙に、横島の手は、足の付け根の方へと移動していた。 「あっ、横島さんそこは……」  その言葉を最後まで言い終わらないうちに、横島の指はおキヌの大事なところを探り 当てていた。かすかに水気を帯びたなめらかな感触が、横島の指先にあった。 「んっ」  悲鳴のような声とともに、おキヌの身体がびくりと震えた。  横島が、さするように、優しくおキヌ自身にさわるたびに、おキヌの身体は強くそれ に反応した。高まっていく鳴咽のような声とともに、おキヌの身体は徐々に火照っていっ た。 「おキヌちゃん……入るよ」  少し上ずった声で、横島が言った。それを聞いて、顔を真っ赤にしたおキヌがかすか にうなずく。  腕に触れた横島の手が、おキヌの手に指を絡ませ、強く握った。  ──私、横島さんとこうなることを望んでいたのかな。横島さんになら、少々恥ずか しいことされても平気だってことは。  かすかに心の中に残っていた不安を打ち消すように、おキヌは絡み合っている指に、 横島に対するすべての想いを込めるように力を入れた。 「あっ」  強い痛みとともに、横島がおキヌの中に入ってきた。自分の中で何かが弾けるような 感覚と、痛みによる感傷と、横島を感じている一体感が、おキヌの中で激しく混ざりあ い、溶け合っていった。 「大丈夫?」  閉じていた目を開けると、心配そうにおキヌを見つめる横島の顔があった。自分が目 に涙を溜めていることに、おキヌは気付いた。それを見て、横島は少し動転してしまっ たらしい。 「大丈夫です……ちょっと痛かったけど、なんか嬉しいような悲しいような、おかしな 気分で。やだっ、なんで涙が出るんだろ」  慌てて、おキヌは空いている方の手で涙を拭いた。だが、少しずつではあったが、と めどなく湧き出してくる涙を止めることはできなかった。  流れ落ちた涙の跡に、横島が優しく唇を触れた。横島には、自分がいまおキヌに対し ていうべき言葉を探し出すことはできなかった。 「私、こうして横島さんが抱いていてくれるだけで、幸せです……。もう、こんな普通 の女の子みたいな幸せ、手に入れられないと思ってました」 「おキヌちゃん……」  両腕を自由にしてから、おキヌが横島の身体を引き寄せた。二人の上半身が、まるで 吸いつけられるかのように合わさった。 「好きな人に抱いてもらうのって、最初は誰でも大変なんだって美神さんから聞きまし た。私も、少し痛かったけど、その何倍も嬉しいんです。だから、横島さん、その、私 のことは気にしなくていいですから」  一気にいい終えて、おキヌがゆっくりと目を閉じた。おキヌの、自分に対する無条件 の信頼が、横島にはたまらなく嬉しかった。 「わかった……じゃあ、動くよ」  おキヌが、横島の手を求め、先程と同じように指を絡ませ、それに答えた。横島は、 おキヌの首筋に軽いくちづけをしてから、絡み合った指に力を込めた。 「んっ……」  横島がおキヌの中で動きはじめた瞬間、おキヌが声を上げた。横島が思わず動きを止 めそうになったのを察して、おキヌが慌てて言う。 「あっ、痛いわけじゃないんです。ただ、その、なんていうか、何かよく分かんないん ですけど、あの……ごめんなさい。変ですよね、私」 「ううん、変なんかじゃないよ。たぶん、それが普通なんだと思う。男の俺にはよく分 からないけど」  少し間があってから、ゆっくりと、横島が動きはじめた。  おキヌの中は暖かかった。動くたびに、吸いつくように形を変え、横島を包み込んで いた。なめらかに横島を受け入れながら、微妙な抵抗で横島を刺激する。 「んんっ……ああ」  甘えるような吐息が、おキヌの口から漏れた。横島を受け入れているのだという認識 が、身体に対しても作用しているのかも知れなかった。  ──私いま、横島さんと一緒になってるんだ。  そう思っただけで身体の中から湧いてくる何かを、止めることもせず、おキヌはあり のままに受け入れていた。 「おキヌちゃん……愛してるよ」  横島の言葉を聞くたびに、沸き上がるものは大きくなっていった。横島の言葉が、横 島のぬくもりが、横島の匂いが、横島と触れ合っている部分すべてが、おキヌをおキヌ の知らないところへと連れ去ろうとしていた。 「ああ……横島さん、私、なんか変なんです。身体の中から、何かが……んっ」  その艶っぽい声と、おキヌの感触によって、横島も登りつめようとしていた。 「お、おキヌちゃん、俺、もうすぐ……」  絡みついている指に、どちらからともなく力がこもった。おキヌの中にいる横島の動 きが、少しずつ早くなっていく。 「あんっ、いやっ、身体が……身体から何かが弾けそうで」  おキヌのまぶたが、二三度かすかに震えた。横島が入り、触れている箇所から全身に 広がりはじめた波が、知らず知らずのうちにおキヌの身体を反らしていた。 「横島さん……あああぁぁっ」  登りつめる瞬間、おキヌの頭の中には、幽霊になる前の姿で横島と二人たわむれる姿 が映った。所詮、それは夢にすぎなかったけれども。  ──でも、いいの。私はいま横島さんとここで……。  そこまで考えたところで、おキヌの意識は純白の光によって満たされていった。 「っ、おキヌちゃん……」  少しだけ遅れて、横島がおキヌの中で達していた。己のすべてをとき放つ一瞬前に、 脳裏に横島の見たことのない風景が映し出されていた。粗末で見慣れない着物を着た、 それでも十分美しいおキヌとともにいる、自分の姿が。  二人は、しばらくの間、身体を重ねたまま動かなかった。それはまるで、時の流れを 止めて、この瞬間を永遠に求めてでもいるかのようだった。  しっかりと握り締められている指と指が、お互いの気持ちを無言のうちに語っていた。 言葉もなく、心地好い火照りが冷めるのを嫌うかのように、二人はそのままぴったりと 身体をよせあっていた。  しっとりと汗をかいた二人の肌は、重なりあっている箇所からほのかな芳香を発して いる。 「あの……おキヌちゃん、俺……」  最初に沈黙を破ったのは、横島だった。言いかけて、ためらうように言葉を探す。そ れを見ながら、おキヌが、微笑みながら言った。 「横島さん……今日のこと、忘れないで下さいね」 「え?」  抱きしめあった身体の感触を確かめながら、おキヌがぽつりと言った。 「こんな風に横島さんといられるの、いまだけかも知れないから……だから、私、たと えこれから何百年も幽霊でいたとしても、今日のこと絶対忘れないから……だから……」  おキヌの目に、知らず知らずのうちに涙があふれていた。 「おキヌちゃん……」 「ごめんなさい、私、嬉しくっ……」  途中から、言葉がとぎれて消えた。  横島が、おキヌの頭を持ち上げて、自分の胸に優しく抱いた。発作のような激しい鳴 咽が、とぎれることなく続く。その髪を撫でながら、自分に言い聞かすように横島はつ ぶやいた。 「俺も、忘れないよ……」  そのまま、しばらく横島は動かなかった。  森の中を吹き抜ける風が、二人の肌を撫でていく。おキヌは、その風に混じって、自 分と同じような存在の匂いが流れてきているような気がした。 「横島さん、何かおかしな気配がありませんか?」  おキヌは、はっと身を起こしてその気配の方角に集中しながら言った。横島が、不思 議そうに答える。 「え? 特に何も感じないけど……」  横島の言葉とともに、一瞬感じたその不可思議な匂いはおキヌにも感じられなくなっ ていた。  ──気のせい……だったのかな。確かに何かがいると思ったのに。  せっかくの横島との時間を自分から壊してしまったことに、おキヌは後悔の念を感じ ていた。だが、あの瞬間、確かにおキヌにはこちらを伺っている何かの存在が感じられ たのだ。 「横島さん……美神さんのところに戻りましょうか。長いこと姿が見えないんで、心配 しているかもしれないし。それで、あの……」  おキヌが、言葉を切って横島を見つめた。恥ずかしそうに、横を向いたまま小さな声 で続ける。 「もう一度だけ、接吻して下さい……」  横島が、少し照れ臭そうなそぶりを見せてから、おキヌの頬に手を当て、そっと唇を 触れた。おキヌは、その感触をすべて受け止めようとしているかのように、目を閉じた まま動かなかった。  長く感じられたくちづけは、あるいはほんの一瞬だったのだろうか。横島の唇が離れ て行ったのを感じて、おキヌはまぶたを開いた。 「さて、それじゃ戻ろうか、おキヌちゃん」 「はいっ」  元気な声で、おキヌが答えた。  ──横島さん、本当に死んじゃってるのかな。ま、美神さんところに戻ったら分かる だろうし、いいか。  ふと頭に浮かんだその疑問は、次の瞬間にはおキヌの頭から消えていた。 「美神さ〜ん、偵察してきましたよ」  部屋の中に声をかけてから、横島は自分の肉体が存在していなかったことに気付いて、 自嘲した。  ──よく考えたら、扉を開けずに部屋の中に入ることだってできるんだよな。 「横島くん、遅いじゃない。それで、森の状況は一体……」  扉を開けて出てきた美神は、横島を見るなりいいかけていた言葉を切った。 「横島くん、あんた身体をどこへ置いてきちゃったの?」 「あ……なんか俺、死んじゃったらしいんですよ」  突然の美神の言葉に、横島は間抜けな声で答えた。 「死んだ……じゃないわよ。自分で気が付いてないの? それは生き霊よ、生き霊」 「え?」 「呆けるのはいいけど先に事情を説明してよね。ぐずぐずしてたら、身体に戻れなくな るかもしれないのよ。ま、別にあたしは助手が霊体になろうがかまわないけど、荷物持 ちがいなくなるのは困るわ」  美神が、大きなため息をついた。 「横島さん、やっぱり生きているんですか?」  おキヌが、美神に聞いた。 「さあね。いまここにいる横島くんが霊体なのは確かよ。でも、この感じからすると気 を失うかなにかして、幽体離脱しちゃってるだけだと思うけど」 「そっか……」  おキヌが、どこか寂しそうな声でつぶやいた。  ──横島さん、生きてたんだ。よかった……。  ──そういや、死んだにしちゃなんか変かなって思ったんだよな。死んだことないか らよく分かんないけど。でも幽体離脱ってそれじゃ、俺の身体は……。 「美神さん。俺、元に戻れるんでしょうか?」  勢い込んで、横島が尋ねる。美神は、部屋に備えつけられているソファに座り込むと、 さとすように言った。 「こういったものは本人が身体に戻りたがっているかどうかによって大きく左右される ものだからね。植物人間ってあるでしょう。あれの何割かは身体を飛び出した霊体が戻 れなくなって起こるのよ。まぁ、横島くん次第ってところね」 「ぐ、具体的にはどうすれば……」  横島が、恐る恐る尋ねる。もちろん、自分の身体を失ったなんてことは横島にとって 初体験だった。詳しく説明してもらえねば、対処のしようもない。 「そうね、まず自分の身体に戻るんだっていう強い意志が必要ね。それから、自分の身 体がある場所の明確なイメージ。まぁ、身体がある場所に行ってしまうほうが確実ね。 あとは、あたしがちょっと手を貸すだけで元に戻れるわ」  案外簡単そうなその条件を聞いて、横島は安堵のため息を漏らした。  ──身体に戻らなきゃ美神さんに手を出すこともできないしな。あ、でもおキヌちゃ んがいるのか。でも冥子ちゃんやエミさん、小竜姫さまもいるってのに身体がないのも 不便だし。あああ、でもよく考えたら霊体ならのぞきなんかは自由自在じゃ……って、 なに考えてるんだ俺は。 「あんまり、身体に戻る意志がないみたいね」  頭を抱えた横島を見て、美神が心底呆れたといった感じの声を出した。 「とりあえず、身体のほうを確保しないとね。身体さえ無事なら、かなり長い間はもた せられるから……。で、横島くん身体はどこに置いてきたの?」  その声を聞いて、横島がはっと顔を上げた。 「えぇと、確かおキヌちゃんと会う前に……そうだ、何者かに殴り倒されたような感じ が……。もしあれが原因だとすると、たぶんあの場所にあると思うっスけど」  それを聞いて、美神が立ち上がった。 「じゃ、横島くんそこへ案内して。あんたの身体なんて結構どうでもいいけど、そのあ たりに敵がいるかもしれないしね」 「どうでもいいってこたあ、ないでしょうが」  不平をいいながらも、横島は必死で自分が倒れる前に歩いていた道のりを思いだそう としていた。道なりにいけば、多分間違うことはないだろう。それよりも横島が恐れて いたのは、このことで恩を着せられて時給が下がったりしないかどうか、という点につ いてであった。 「確か、このあたりだと思ったんスけど……」  見渡す限り同じような風景が続く森の中を、三人は横島の案内で歩いていた。横島の 記憶が確かなものなのかどうか、確かめるすべは何もなかったのだが。 「あ、あそこだ」  横島が、ほっとしたような声を出す。美神にも、木陰に無様な恰好で横たわっている 横島の身体を見ることができた。  ──それにしても、自分で自分の身体を探さなきゃいけないハメになるなんて思って なかったよなぁ。  情けない気分で、横島は自分の身体を見下ろした。美神はといえば、警戒するように あたりを見やっている。 「どうしたんですか、美神さん?」  横島が、不思議そうに聞いた。怒ったように、美神がそれに答える。 「横島くんはここでやられたってことなんでしょう? だったら、敵は近くにいる可能 性があるってことじゃないの。気配を感じさせないまま近づいている可能性もあるんだ からね」 「美神さんっ、誰かいます」  おキヌの指差した方向に、美神が顔を向けた。暗闇から、人影らしきものが出てくる のが、はっきりと美神に、そして横島にも見ることができた。  そこでは、ぼんやりとしたもやのような何かが、徐々にしっかりとした人の形に変わ ろうとしていた。  ──ここまで接近するまで気配を感じさせないなんて、なかなかやるじゃない。  そう考えながら、美神は神通棍を握り締めた。高揚感とともに、自らの霊力が徐々に 高まっていくのが感じられた。 「あなたがたが森に入った時から、ずっと見させてもらっていました」  その気配が、喋った。声を出したというよりは、意志を飛ばしたように、美神には感 じられた。おキヌは、相手の存在よりも、その言葉の意味するところのほうに気を取ら れていた。  ──いつから、見ていたんだろう。横島さんと一緒にいた時に私が感じた気配って、 もしかしたら……。  おキヌの思惑など少しも気に止める様子のないまま、その意志の言葉は続いていた。 「あなたたちは、私をこの森から追い払いに来たのでしょう。分からないのは、なぜあ の館の当主があなたがたを呼んだのか、ということです」  困惑した思考が、美神たちの脳裏に流れ込んできていた。 「永遠に続く平穏、永遠に続く安息。……この森では、すべての生物が様々な束縛から 逃れていられるというのに。あの人は、人間にしてはめずらしく私の精神と同調してい た。なぜ、いまになって……」 「あの……恐くなったんじゃないですか。私、頭よくないんでよく分かんないんですけ ど……。私も三百年ほどそんな感じの日々を送っていたことがあったんです。けれど、 途中で、これがいつまで続くんだろう、って思ったら恐くなって、そこから抜け出たいっ て思うようになりました」  おキヌが言葉をはさんだ。 「ま、そういうことね。永遠に続く平穏なんてものに耐えられる人間なんて、そうはい ないわ。平穏より変化を、安息よりは多少の危険を求めるのが人間ってものなのよね」  勝ち誇ったように、美神が言い捨てた。神通棍を身体の前に構えると、きっと顔を上 げて人の形をした何かを見据える。 「まあ、そんなごたくはどうでもいいわ。あたしが依頼を引き受けた以上、あなたには 悪いけどこれ以上この森に居座っててもらうわけにはいかないのよ」  神通棍から、美神の霊気が立ち上った。 「あなたの居場所は、この地球上にはすでにないのよ。このゴーストスイーパー美神が、 極楽にいかせてあげるわ」  人影から、ふたたび言葉が飛んだ。 「先を急がないで下さい。私は、この森の時の流れを元に戻すつもりです。あなたがた とやりあうつもりはありません。別に、私の存在自体を抹消することがあなたの仕事で はないはずです」  確かにその通りではあった。が、霊体との口約束なんぞを信用する美神ではなかった。 「それはそうだけれど……でも、あなたの言葉を確実に証明するものがない以上、あた しとしては祓っておいたほうがいいのよね。後から文句が来たりしたんじゃ、信用にか かわるんだし」 「私にとっては、あなたがたを排除するくらい簡単なことなのですよ。あなたがたは、 私の内部にいるのですから。この森が、私なのです」  ──この森全体が……それで気配が希薄だったのね。森に入った時に、気付いておく べきだったのに!  悔恨の情とともに、美神は自分が抜き差しならぬ状況に置かれていることを知った。 未知の力を持ったものに、退路もなく完全に包囲されているのだ。 「ただ、そんなことはしたくない。私も、疲れました。このまま、あるべき生をまっと うしていくつもりです。その二人を見ていて、そう思いました」  ──二人? 二人って……横島とおキヌちゃん? 「しょせん、あるべきものはあるべきままに流れよ、ということなのでしょう。なまじ 力を持ったからといって、無意味なことをしてしまいました」  ──ちょ、ちょっと、あたしは依頼人にどう説明したらいいっていうのよ。やめるそ うです、御安心下さい、なんて言えるわけないじゃないの。 「その点については大丈夫です。彼女らにもすぐに分かる……」  そこまでで、言葉はとぎれた。何も聞こえなくなってからしばらくして、美神は、最 後の答えの前に自分が声など発していないことに、はじめて気付いていた。  ──人の考えることもお見通しっていうわけね。それにしても、あの老婦人たちにも すぐに分かることって、一体……。  美神の思考を邪魔するように、森がざわめいていた。 「み、美神さんっ」  おキヌの声で、美神は我に返った。顔をあげると、信じられない光景が目の前で展開 されていた。  ざわめきが近づくとともに、その音とともに森の木という木の葉が、いっせいに紅葉 に変化していった。いくつかの葉は、そのざわめきとともに木の呪縛から解き放たれ、 風に舞いながら地面へと落下していた。  紅色の、黄色の、茶色の葉が、偽りの装いを脱ぎ捨てて本来の色に染まっていた。 「これが……これなら、確かに見ただけで……」  さすがの美神も、驚きのあまりかすれたような声を出すのが精一杯だった。横島は、 ぽかんとした表情でそれを見ている。おキヌは、とても嬉しそうだった。  ──綺麗……なんて綺麗なんだろう。  幽霊になってから三百年間、おキヌは四季の変化に鈍感だった。季節感を肌に感じる ことのない幽霊ならば無理のないことかもしれなかった……が、いま眼前に広がってい る光景は、おキヌの心に深く刻みこまれた。  ──今日ここに来て感じたこと、いつまでも覚えておける。幽霊ですらなくなったと しても、きっと、ずっと……。  しばらくの間、三人はそのままの姿勢で動かなかった。  最初に我に返ったのは、美神だった。 「さ、さてと、仕事も終わったし、謝礼をもらいにいかなくっちゃね。楽でボロい仕事 だったわ」  その声を聞いて、横島が我に返った。 「ちょ、ちょっと美神さん、謝礼はいいけど俺の身体はどうなるんっスか」 「あ、忘れてた」  横島が、派手にコケた。 「一つ聞いておくけど、身体に戻る意志は固まったんでしょうね」  美神が、横島を横目で睨んでいった。 「あ、あたりまえじゃないスか。やだなぁ、なんで元に戻りたくないなんて思うんです か」  慌てて、横島が言い返した。その姿に冷たい視線を返しながら、美神が首をかしげる。 「あたしはてっきり、着替えや風呂ののぞきがしやすくなって喜んでるものだと思った んだけど」 「や、やだなぁ美神さん。そんなわけないじゃないですか。はははははは……」  横島のそのむなしい笑い声は、美神の推察が事実であることを明確に告げていた。 「ま、いいわ。やってみましょう。ただし、元に戻りたいと横島くんが本気で願ってな かったら、失敗するからね」 「あのー、失敗するとどうなるんですか?」  おキヌが、心配そうな声で聞いた。その横では横島が、緊張した面持ちでごくりとつ ばを飲みこんでいた。 「別に、そのまま霊体でいるだけの話よ。そのうち身体に戻りたくなったら戻るんじゃ ない?」 「そ、そんないい加減な……」  美神が、きっと横島を見据えた。 「あたしにとっては、別にどうでもいいことなんだからね。文句いってないで、はじめ るわよ」  言い終わるなりさっさとかがみこんだ美神が、横島の身体に軽く触れて小声で呪文を 唱えはじめた。しばらく、そのまま呪文の詠唱が続く。 「横島くん、自分の身体に戻りたいと強く念じてっ」  言い放つなり、再度呪文を唱えはじめる。  横島は、言われるままに自分の身体への回帰を強く願った。  ──美神さんのふともも、美神さんのくちびる、美神さんの胸の感触……。  自分がこれまでに身体で感じていた、すべての記憶を呼び起こして。  足元が崩れて、吸いこまれていくように落ちていく感覚が横島を襲った。長いような、 短いような落下の後、底にたどり着いたような感触があった。  ──なんだかとても懐かしいところのような。それにしても、わずかに感じるこの淋 しさはなんなんだろう。  横島が考えられたのは、そこまでだった。次の瞬間、横島の意識は真っ暗な闇の中へ と、沈んでいった。 「横島さん、大丈夫ですか?」  気が付くと、目の前にはおキヌの顔があった。強烈な五感が、横島の脳裏を突く。 「どうやら、元に戻ったようね。ったく、あんまり世話焼かせるんじゃないわよ」  横島は、手足を軽く動かしてみた。と同時に、鈍い痛みが後頭部に走った。気を失う 前に受けた傷の痛みだろうか。 「あ、俺……元に戻ったんスか」  状況を把握すると同時に、横島の身体が条件反射的に動いていた。 「美神さぁぁぁぁぁぁん、どうもありがとうございますぅぅぅ」  涙を流しながら抱きつこうとした横島に、美神が冷静に蹴りを入れた。横島が、その ままひっくり返って頭の怪我をしている箇所をふたたび打った。 「おキヌちゃん、そのバカ引っ張ってきてね」  いい残して、美神はさっさと歩き出した。横島をあのまま霊体のままにしておいたほ うが良かったのではないかと、頭を抱えつつ。 「横島さん、立てますか?」  倒れている横島に、おキヌが心配そうに聞いた。もはや日常茶飯事となりつつあるこ の程度の怪我に参るわけもなく、横島はすぐに復活した。 「じゃあ、いきましょうか。美神さん、きっと屋敷で待ってますよ」  そう言いながら、おキヌは横島の腕に自分の腕を絡めた。いや、正確にはそう見える ようにしただけではあったが。 「おキヌちゃん……ごめん」  それを見て、横島がおキヌに謝った。身体に戻ろうとしたことで、おキヌの世界から 逃げ出そうとしたことで、おキヌに対する申し訳なさを、横島は強く感じていた。 「気にしないで下さい。私はもう、十分ですから」  おキヌが、明るい声で言った。横島が生きていることが嬉しいのも、おキヌにとって はまた事実であった。  二人は、ゆっくりと歩き出した。  腕を組んで歩く二人の横を、風で揺られた紅い葉が、幾筋も舞い落ちていく。  季節は、すっかり秋であった。


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