『愛のあかし』 〜 とらいあんぐるハート2 椎名ゆうひ 〜





 …眩しい。
 窓のすき間から差し込む光がまともに当たっているのか、顔の一部だけやけに暖かく感
じた。
 まだ住人が起き出していないさざなみ寮の中は妙に静かで、窓の外から聞こえるわずか
な小鳥の鳴き声だけが、まるでこの世の中の全ての音ででもあるかのようだった。
 んーっ…。
 まだ覚めきっていないぼうっとした状態で、伸びをする。
 ふよっ。
 もぞもぞと身体を動かすと、身体の右側で何かが手に触れた。
「…ん?」
 手のひらでさする。
 妙に暖かくて、柔らかい…。
「…ん……」
 だけでなく、かすかに聞こえる声。
 ふにふに。
 この、妙に柔らかくて気持ちのいい感触は…。
「ん……ゆうひか…?」
「…違うよ」
 ちょっと低めの、特徴のある声。
 聞き間違えようもない。
「ま、真雪さんっ!?」
 一瞬で、眠気が吹き飛んだ。
 身体を起こして、毛布から出る。
「そうか…いつの間にかゆうひとなぁ。道理で最近遊んでくれなくなったわけだ」
 もそもそと潜り込んでいた毛布を身に巻き付けながら、真雪さんがベッドの上に座り込
んだ。
「おう、お早う」
 邪気のない笑顔で、真雪さんが微笑む。
「…ど、ど、どうして俺の部屋にいるんですかっ」
「…ゆうひとなぁ。お祝いしないとなぁ」
「人の話、聞いてくださいよ…」
 うむうむと頷く真雪さんを見ているうちに、パニックになっていた頭の中が少し落ち着
いてくる。
「いや、昨日ちょっと外で飲んでてさぁ。帰ってきたら部屋のカギはどこかに忘れたのか
持ってないし、知佳のやつは寝てるみたいだし…」
 ぼりぼりと頭をかきながら、真雪さんは記憶をたどっているようだった。
「で、廊下で寝るのも癪なんで誰かのところで寝ようと思ったんだけど、みんなカギかけ
て寝ててさ」
「…因果応報っていう言葉知っていますか? 真雪さん」
「さすがに意味くらいはな」
「寝てる間に真雪さんがいたずらするからって、みんなカギかけて寝るようになったんじ
ゃないですか。忘れたとは言わせませんよ」
「忘れてはいないけど、いちいち覚えちゃいないよそんなこと」
 よく分からない理屈で、真雪さんが反論する。
「呼んで起こしてくれればよかったじゃないですか」
「それもそうなんだけど、耕介の気持ち良さそうな寝顔見たら、起こすのも申し訳ないと
思ってさぁ」
「…部屋に入って俺の寝顔を見る前に呼んでください」
「でも、なぁ」
 少し照れ臭そうに、真雪さんが頭を掻く。
 この人なりに、気を使ってのことだって分かってはいるんだけど…。
 やっぱり、ちょっと普通じゃない。
「…はぁ」
「なんだよ耕介、ため息なんかついて」
「いや、別にいいです。それより…」
 言いかけたところで、床に散らばっているものが目に止まった。
 あまり、男の俺には縁のないものだ。
「…真雪さん、なんでそんなとこに下着が散乱してるんですか?」
「ああ、これ?」
 手の届く範囲に落ちていたブラに、真雪さんが手を伸ばす。
「脱いだからだろ、やっぱり」
 身体に巻いていた毛布が少しゆるんで、そのすき間から、包まれている身体が少しだけ
見えた。
 うぅ。
 やっぱり何も着てないんですね。
 床に落ちているもろもろから察するに、どうやら一糸まとわぬ…という状態らしい。
「十分くらい部屋あけますから、その間に服を着て、自分の部屋に戻ってください。…い
いですね?」
「うーい」
 面倒くさそうに、真雪さんが返事をする。
「それじゃ、マスターキー渡しておきます」
 鍵の束から、真雪さんの部屋の鍵を抜いて手渡した。
「見つからないようだったら、早めに合鍵作っておいたほうがいいですよ」
「分かってるって」
 適当な服を着て、立ち上がる。
「…それじゃ、ちょっと早いですけど朝食の用意してきますんで」
 部屋を出るときに、真雪さんがけだるげに伸びをしているのが見えた。
 まさか、あのまま寝たりしないだろうな…。
 まぁ、おとなしく寝ていてもらう分には、入るときに気をつければいいだけなんだけど…。
 少しだけ不安を感じながら、キッチンへと向かった。
 冷蔵庫から材料を取り出して、下ごしらえをしてしまう。
 いつもよりも一時間近く早い。
 せっかくだから、ちょっと時間のかかるものでも作ってみるかな。
 そんなことを考えながら手を動かしていると、廊下に人の気配がした。
 ちょっと早いけど、誰か起きたんだろうか。
 いつも、この時間にはまだ誰も起きてないはずなんだけど。
 気にせずに、作業を続ける。
「…から……」
 ?
 なにか、廊下の奥のほうから声が聞こえる…かな。
 …少しだけ、嫌な予感がするのはなぜだろう。
 ちょっと、見に行ってみたほうがいいような気がする。



 部屋の前に人影があった。
 俺の毛布を身体に巻き付けただけの真雪さんと、パジャマ姿の愛さんだ。
 どうやら、俺の部屋から出てきたところで愛さんとばったり出くわしたらしい。
「うぅ、ちょっとトイレ行きたかっただけなのに…」
 俺に気付いて、ばつの悪そうな顔で、真雪さんがうなだれている。
「せめて、服着てから行ってくださいよ」
 毛布一枚だけ、その下全裸、という格好では誤解されるだろうと思う。
「…すごく眠かったんで、面倒くさくて」
 確かに真雪さんは眠たそうだった。
 まぶたは今にもくっつきそうだったし、上半身が微妙にゆらゆらと揺れている。
「あの…耕介さん。あまりこういったことに干渉する気はないんですけど…」
 愛さんが、すがるような目で俺を見た。
「ゆうひちゃんのこと、大切にしてあげてくださいね」
 いや、愛さん。俺は何もしてないんですけど。
 っていうか…。
「あ、愛さん。どうして知ってるんですか、俺とゆうひのこと」
「いや、いまあたしが教えたし」
 しれっとした顔で、真雪さんが口をはさむ。
「びっくりしちゃいました」
 嬉しそうにも寂しそうにも見える、微妙な表情の愛さん。
 別に隠していたわけじゃないんだけど、こうなってしまうと、妙に後ろめたい。
「ゆうひちゃん、いざとなると結構弱いところありますから…」
「そうだよなぁ、ゆうひは割とそういうところありそうだよなぁ」
 立ったまま、真雪さんがうむうむと頷く。
「いや、そんなこと真雪さんに言われても…」
 真雪さんをにらんで、黙っててください、とサインを送ってから、口を開く。
「いいですか愛さん、聞いてください。これは実はですね…」
「なんだなんだ? 朝っぱらからちじょうのもつれなのか?」
 ひょっこり現れた美緒が、タイムリーすぎるツッコミを入れる。
「違うー」
「あれー、どうしたんですかみんなで集まって…」
 み、みなみちゃんまで…。
 なんで今日に限ってみんな早起きなんだ?
 もうなんか収拾が…。
「あのー、ちょっと説明させてもらっていいでしょうか?」
「ひこくは黙っているのだ」
 美緒が、びしと俺を指差す。
「い、いつの間にそんな立場に…」
「ちょっと耕介にマスターキー借りてただけで、やましいことはなにもしてないぞ」
 眠そうにしながらも、真雪さんが断固とした口調で弁護してくれる。
 うぅ、ありがとうございます。
「それにしても…うー、早く目が覚めすぎたよ。もっかい寝直す…」
 真雪さんが、けだるげに身体を動かした。
 ゆっくりと、俺の部屋のドアに手をかける。
「だから、どうしてそこで俺の部屋に入ろうとするんですか」
「え? だって、下着が中に…」
 また、誤解されるもとになるようなことを…。
「やっぱり、どう考えても有罪なのだ」
「お、お二人はいつの間にそんな間柄に…」
 したり顔で頷く美緒と、顔を真っ赤に染めたみなみちゃんを見ながら、おれはゆっくり
とため息をついた。
 眠そうな真雪さんと、目があった。
「いや、いいです。なんか何を言っても無駄みたいですから」
「…悪い。着替えたらちゃんと部屋行って寝ることにする」
 ばたんと、目の前で自分の部屋の扉が閉まった。
「どう説明すればいいんだか…」
 廊下にそろったさざなみ寮の住人たちを見渡してから。
 もう一度、俺はため息をついた。



 その日、少し遅くなってから帰ってきたゆうひに、俺はすぐに会いにいった。
 へたに他から曲がった情報が伝わると厄介なので、自分から直接、説明するためだ。
「なんや、そんなことあったんか?」
 ゆうひが、憮然とした俺の顔を見ておかしそうに笑った。
「うちがおったら良かったな…きっぱり言うてやったのに。耕介くんは、そんな人じゃな
いからって」
「ありがと、ゆうひ」
 俺のことを信じてくれているのが、嬉しい。
「まあ、ほんまに浮気しとったら、ただじゃすまんけどな」
 その、ゆうひの口調はいつものとおりで。
 怒っているのか、拗ねているのか、それとも冗談なのか。
 ちょっと分からなかった。
「…取られんように、うちのモノだってしるしつけといたろ」
 ゆうひが、抱きついてきた。
 かぷ、と首筋にかみつかれる。
「いいよ…好きなだけつけて」
 さらさらの髪の毛を、ゆっくりと撫でてやった。
「うん…」
 ゆうひが、身体を預けてくる。
 唇をあわせて、ゆうひを抱きしめた。
「ん…」
 甘い声が漏れる。
「服…脱がせて……」
 こつんとおでこを合わせて、ゆうひがささやいた。
「ほんとに浮気してないかどうか、実地で確かめとく…」
 首筋に、ゆうひの唇が触れた。
「変な場所にあざがあったり、妙に上手くなってたりしたら怪しいかな…」
 くすっと、ゆうひが笑う。
 冗談めかして。
「俺が抱きたいって思うのは、ゆうひだけだよ」
 ゆうひに、そっと触れる。
 きゅっと、ゆうひの腕が俺をつかんだ。



 けだるく、幸せな時間。
 腕のなかには、身体を丸めたゆうひがいる。
 まだ、汗がひききっていない身体に触れた。
 いつもはさらさらの肌が、しっとりと濡れている。
 手をさぐりあてると、ゆうひが指先をきゅっと握り返してきた。
「少しだけ、不安になるときもあるんよ」
「…なにが?」
 指を絡めながら、ゆうひに問い返した。
「耕介くん、他の子にも優しいから。いつか、耕介くんのこと好きになる子がでてきて、
取られるんやないかって」
「いちばん好きな子がいるのに、その子以外の子を好きになるなんて、できないよ」
 くすぐったそうに目を細めるゆうひの頭を、なでてやる。
「…俺は、器用じゃないから」
「まあ、耕介くんやったら、見てたらすぐ分かるしー」
 ゆうひが、じゃれついてくる。
 やっぱりこいぬだ、こいぬ。
「なんかあったら言うてくれるやろから、安心してる」
「…不安になるんじゃなかったのか」
「たまに、ね」
 コンコンコン。
 扉をノックする音がした。
「誰か…来た?」
「そういえば、カギかけてなかったかも…」
「おろ」
 俺たちが見ているなかで、がちゃりと音を立てて扉が開いた。
 酒の瓶を抱えた、真雪さんが部屋に入ってくる。
「お?」
 明かりはついているので、一目瞭然の状況だろう。
「おお?」
「…こんばんわ」
 ゆうひが、間が悪そうにあいさつをする。
「いや、ゆうひとちょっと話したいことがあったんだけど…」
「真雪さん、状況分かってて言ってます?」
「状況? 分かってるぞ。耕介がゆうひとセッ…」
「うぅ、もうそこから先は言ってもらわなくてもいいです」
 まだなにか言いたげな真雪さんを手で制する。
「あのー、できたらちょう待っててもらったら、シャワー浴びて着替えてくるし…」
「あぁ、いいよいいいよ。邪魔する気はないからさっさと帰るって」
 言葉通り、真雪さんはそのまま出ていこうとした。
 扉の前で、ばつの悪そうな顔をしながら、こちらを向く。
「今朝は悪かったな。別に耕介となんかあったりはしないから、安心していいよ。それと…」
 ノブに手をかけて、真雪さんが言葉を区切った。
「おめでとう。幸せに…なりなよ」
 言葉を残して、扉が閉まった。
 一瞬の間のあと。
「ありがとうございます…」
 俺とゆうひは、扉の向こうに向かって、頭を下げた。




《終》






























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