chapter_0 せんちめんたる < 松原葵・一人称 >
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春も、もう終わりです。
通学路沿いの並木の桜も、ふと気が付けば、散ってしまっていました。
公園や、校庭や、駅前のロータリーも、よそのお宅のお庭でも、そして、私
のお部屋の窓の外にも。木々には緑の葉、青々と生い茂って。
晴れた空から、穏やかな、爽やかな光が降り注いでいます。
もう少ししたら梅雨(つゆ)が来て、きっとジトジトのベタベタのドンヨリ
で、過ごしにくくなるのでしょう。それは、私のキライな季節です。
…けれど、でも、今はまだ。
誰にだって優しくなれる気がする、そんな季節。
柔らかなそよ風が、私は好き。ふんわりと身体を包んでくれます。ちょっと
悪戯して、前髪をはらはらと揺らすけれど。くすぐったくて、気持ちよくて。
夏ほど一生懸命でなく、冬ほど弱々しくもなく。さりげなく、道行く私を後
押ししてくれてるような日差しに。心はポカポカ、弾みます。
不思議と軽やか、ただ歩いてくだけでも、楽しい予感…。
去年も、一昨年も、その前も。いつだって、そうでした。
…なのに。
なんとなく、ハッキリしない。どことなく、モヤモヤとした気分。
この憂鬱は、ウツウツは、五月のせい?
この春に。私、松原葵は、高校生になりました。
迷いに迷って、選んだ高校。
隣の街の郊外で、さすがに遠いから、バスを乗り継いで通っています。
ホントは丁度良い運動にもなるし、自転車で通いたいところですが。うちの
高校、自転車通学は禁止なんです。理由は簡単、危ないから。
…でも、そうじゃなくても。あの制服姿の女の子がシャカリキにこいでたり
したら、おかしいですよね。私もそう思います。
品がよくて。だから、未だに馴染めない服装。
よく、外国の映画とかで…、そう、イギリスの名門校の生徒さんが着ている
ような、ああいう雰囲気のデザインなんです。落ち着いた色合いで、赤い紐の
リボンがワンポイント。
私には、窮屈に感じられます。実際に動きにくいとか、そういうのではない
のですが。先入観、気分。…たぶん、私だけの思い込み。
中学校の時は、紺色の、ごく普通のセーラーでした。それだって、お世辞に
もピッタリでしたなんて、言えませんけど。
それに輪を掛けて。私のような、そそっかしくて落ち着かない、じっとして
いられないような子には、似合っていないんじゃないかなぁ…って。
でも、センパイは。
そんなコトない、可愛いよ、似合ってるよって、言ってくれます。
「…ふぅ」
同好会活動のあと、下校の途中で。
思い出して、ついつい、ため息をついちゃいます。
私の憂鬱の原因は、本当に単純。幾ら考えてみたところで、そんなの、初め
から判っていたことです。
私が憂鬱…よりも、まず先に。センパイが憂鬱。
今を楽しめない心の、連鎖反応。
最近、ここ一週間くらい。センパイはいつも、どこか遠くを見ています。
放課後の同好会活動でも。休み時間、廊下に佇んでいるのを見かけた時も。
下校の途中も、そう。その心、ここにあらず、で。
こちらから話しかければ、言葉を返してくれます。私が失敗しちゃった話を
すれば、笑ってもくれます。慰めてもくれます。
一見、普通です。他の誰も、センパイの様子の変わったこと、気づいていな
いでしょう。
でも。…それでも、私だけは。
何故なら。私はいつも見ているから。
センパイのコトを。
何故なら。私はどうしても好きだから。
センパイのコトが。
今日こそ、言ってみるつもりです。
自分のこの気持ち、きちんとケリを付けてあげたいから。
いつも想いに正直に。そうありたいと願う心。
…子供っぽいコトかも、しれないけれど。
本当は。
そのまま、このまま、今のまま。仲の良い先輩と後輩の関係、壊したくない。
ヘンにギクシャクなんて、望まない。…そう、踏み出す一歩が、とても、怖い。
どうしようかと幾重(いくえ)にも、揺れ動く想い、戸惑う気持ち。
…でも、だけどそれは。
きっと『臆病な私』の考え方だって、思えちゃうから。
臆病な私のままじゃ、ダメなんです。それじゃ、いつまで経ったって…。
前に見えるのは、間違えるはずもない、センパイの背中。
学校帰りの並木道で。
私は駆け出して。追いついて、追い越して、そして…。
心を決めて、振り返る。
「センパイっ! あのっ、私っ、わたしっ………」
「!」
センパイはいつだって。私が思いつきもしないような言葉、でも、あとで、
その時に一番欲しかったんだって思えるような言葉をくれます。
…だから。それだから。
葵は、綾香センパイのコト、大好きなんです!
私、西音寺女子学院を選んで、本当に良かった…。