chapter_1 不思議の館のアオイちゃん                    < 三人称 >

               ∴ ∴ ∴

 熱血生真面目格闘技一直線少女、松原葵は。
 オドオドのビクビクのドキドキ、微妙にワクワクを織り交ぜたよーな顔で、
綾香が何と答えてくれるか待ちかまえている。
 その表情は真剣。目をまんまるに見開いて、綾香の整った顔、見つめている。

 葵の不器用なアプローチ、一所懸命なコクハクに。受けた綾香はいたってク
ールなお顔、焦った様子は微塵もない。
 学園のスーパーアイドルたる彼女としては、少女たちの憧憬の眼差しはあっ
て当然、ひしひし感じるのが必然。屋上、靴箱、花壇のベンチ、体育倉庫に帰
り道、恋に迷えるけなげなコヒツジたちの「あたしのオネーサマになって下さ
ぁい!」的発言は、それこそ日常チャメシゴトなのかもしれない。
 そして。まるで、何事もなかったかのように。
「ね、葵。あなた、今日、暇かしら?」
「へ…!?」
「…もしもお暇なら、だけれども。どう? 来ないかな? …私の部屋に」
 それはある意味、最も大胆なお答えであろう。すっかり虚を突かれた風の葵。
 一瞬の沈黙をおいて。喜色満面、パッと華が咲く。
「いっ、行きます行きます行きます行きます行きまあ〜っす!!!!」
 落ち着いた綾香の声を打ち消すように、元気いっぱい、葵の大声。
 天下の往来で思いっきり叫んでしまってから、ハッと気がついて。慌ててギ
ュッと目を瞑って、少女はちっちゃく身を竦めた。
 様子がコロコロ変わる年下の娘を、綾香は面白そうに眺めている。
 幸いなことに。土曜の午後の街外れ、その先は丘の上、女子校があるだけの
道に、彼女たち二人以外の人影はなかった。そしてまた、昼前帰宅組と部活動
残存部隊、各々の下校ラッシュのちょうど境目の頃合いらしい。
「わ、私、私、あの…、行きたいです…」
 最後にぽそっと、泣きそうなお顔、途切れそうなお声の葵ちゃん。呟くよう
に言った。
 タイミング良く、綾香はパチンと指を鳴らす。映画のように決まりすぎ。や
ることなすこと、いちいち映える娘である。
「おっけ〜。たのしーコトして遊びましょ。…どーせ、だぁれもいないんだし」
 綾香はバチッと小悪魔のウィンク、そんなコトを囁く。答えも待たず、葵の
小さな手をぎゅうっと握って、どんどん歩いていく。
「えっ? えっ! ちょ、ちょっと綾香センパイっ! 今、なんて?!」
 構わずズンズン引っ張っていく綾香、引きずられるようにしてトットコつい
ていく葵。
「待って下さいっ、だからその手を放して…あっ、繋いでたいんですけど、で
も、あのっ、やっぱりそのっ…!」

               ∴ ∴ ∴

「は〜い、とーちゃく〜。ここよ、葵」
 綾香は優しげな目で微笑みかける。…優しげ、ではあるのだが。瞳の奥の輝
きが、ドコとなく妖しい雰囲気を漂わせていなくもない。
 が、今の葵に、そこまで見抜けよう筈もなく。
「は、はぃ…」
 葵の頭は沸騰寸前、熟れたトマトのように真っ赤っかのお顔。彼女が精巧な
ロボットだったなら、それこそプシューッと蒸気を噴きだしてもおかしくない
くらい。
 ここまでの帰り道、商店街でも、バスの中でも、とうとう手を放して貰えな
かったから。そうして街の人々の注目を浴びることが、目立つことを苦手とす
る葵にとって、顔から火が出るほどの思いなのであった。…実際のところ「手
を繋ぐ仲良しな女の子二人」よりも「引っ張られてく少女のどっかチョーシ悪
いんじゃないかと思わせるほどの顔の赤さ」という点こそがまさに、皆の注視
の対象だったのだけれど。
 葵は、かねてよりの願いの一つが文句無しに叶ってしまったことと、でもそ
れがなんか考えていたのと違うよーな気がしてならない今の気持ちに、どーに
も釈然としないモンを感じていた。

「……あ、あれっ、あれれ?」
 ハッと気が付くと、綾香がいない。慌ててキョロキョロ、辺りを見回す。
 どこまでも続く広い庭、敷地内の森。木々の合間、徒歩で確実に五分はかか
るであろう遠方に、いかめしくも上品な西洋風のお屋敷が見え隠れしている。
来栖川家本邸である。
 今、葵の立っているのは。比べればやや小振りの、それでも古くてご立派な
二階建て、煉瓦造りの西洋館の真正面である。明治の半ばに、来栖川のご先祖
が外国人建築家を招いて作らせたという由緒正しき建築物で、元はこの敷地の
中心、つまり現在の本邸の建つ場所にあった。戦後、手狭になってきたという
理由で建て替え話が持ち上がったさいに、ただ取り壊してしまうのは惜しいだ
ろうと、森の片隅、現在の場所に、セカンドハウスとして活用すべく移築され
たのだった。
 そうして、なんとも贅沢なことに。現在は来栖川直系の二人の姉妹、芹香と
綾香(及び、彼女たちそれぞれに付属する使用人たち)の住居として使われて
いるのであった。
「ドコ行っちゃったんだろ…」
 綾香の姿はどこにもなかった。ただ、来た時には閉まっていたはずの正面入
り口の木製大扉、これがわずかに隙間を作っていた。
 ぼお〜っとしていた葵をおいて、綾香嬢、さっさと中へ入ってしまったらし
い。
「そ、そんなぁ…。あ、綾香センパイ、待って下さいよぉ…」

 長い長い廊下。
 窓がないので薄暗く、古びた意匠の装飾照明が規則正しく灯っている。
 廊下の両側、左右対称に扉が並ぶ。突き当たりには大きな額縁、中世西欧の
宗教絵画、陰鬱にして荘厳なる二次元平面を片翼の天使が舞っている。
 まるで誰も存在しないかのように、館は静寂に充ち満ちていた。思わずゴク
ッと唾を飲むと、それが大きく葵自身の耳に響く。
 今は昼間で外は陽も高く、館のどこかに綾香がいて、自分はオバケとか信じ
てない(だからといって恐くないわけではない)というのに。葵は不安になる。
「綾香せんぱ〜い…」
 おそるおそる、呼んでみる。遠慮がちに、尻窄みになるコトバ。
「どちらですか〜…」
 何の返事も帰ってこない。そのかわり。
 こんこん、こんこん。…ノックの音が。どこからだろう、少女の耳に届く。
彼女を招くように、そして挑発するかのように。
「い、いやですよ、私…。からかわないで下さいよぉ…」
 いよいよもって薄気味が悪い。
 こんこん、こんこん。音はしつこい。挙げ句、今度はクスクスッと、笑い声
まで聞こえてくる。
 行きつ、戻りつ、玄関ホールにて、しばし戸惑いて。
 ワケもなく悲しくなってくる。けれど。葵としては、逃げるわけには行かな
いのだった。
 そして、覚悟を決める。
「綾香センパイの前で逃げ出すなんて…。私、絶対に見つけます! 勝手にお
部屋、入っちゃいますからねっ!」

               ∴ ∴ ∴

 おかしな話だった。
 廊下の向こう、あっちの部屋、こっちの扉、そして庭の先。ちらりちらりと
垣間見える綾香の姿、影、存在感は。次の瞬間、まるで別方向のとんでもない
ところに現れるのだった。
 確かに、隣り合わせの部屋から部屋へは、いちいち廊下に出なくとも。扉が
あったり、通路があったりで、好きに移動できるようになっている。
 綾香はスポーツ万能少女で、動きも猫のように俊敏で、その気になればわけ
ないことなのかもしれない。…が、この館の間取りや構造、把握しているはず
もない葵には、不可思議千万、なんとも気持ちの悪い現象として映るのである。
 そう、それはまるで、綾香が複数存在しているかのよう…。
「夢でも見てるのかなぁ」
 半ば本気で、ムギュッと頬をつねってみたのだが、ひどく痛いだけだった。
途端、どこからかクスクス。笑い声は拡散し、反響する。あちらから、こちら
から、葵の耳にこだまする。

 鬼ごっこは三十分ほど続いて。さすがの葵もくたびれてきた、その頃に。
 葵自身は気が付かなかったが、彼女は巧妙に誘導されたのだった。
「よぅし、今度こそっ…。綾香さん、こちらには、いらっしゃいま〜すか〜、
…あ!」
 二階、廊下の奥の部屋へと。
「さぁ、どうぞ。お入り下さいな」
 薄く開いたテラスへのガラス戸から、そよ風が吹き込んでカーテンを揺らし
ている。そこは、チャコールグレーの色調でまとめられた部屋。綾香お嬢様の
寝室である。
 円卓には瑠璃色のバラが飾られ、ささやかながらも、蒼く澄んだ匂いを漂わ
せている。
 殺風景にならない程度にバランス良く配置された家具、小物、どれもこれも
がアンティークである。たとえそうはみえなくとも、この西洋館以上に由緒正
しげな逸話を引きずっている。一流のオークションをくぐり抜けた末に、この
東洋の島国へと辿り着いたシロモノばかり。
 花瓶の傍らに木製の西洋将棋盤、ボーンチャイナの黒塗りの騎士が白の王に
手を掛ける、その状態のまま放置されている。人間用の椅子の一つに我が物顔
で腰掛けているのは、首から鎖時計をぶら下げたヌイグルミのウサギ、シリア
ルナンバーのタグ付き。飾り棚の上には人形の道化師(クラウン)が、機械仕
掛けのオルゴールにもたれかかる。
 そして。王侯貴族的ビッグサイズのベッド、ふかふかの羽毛布団に沈みつつ、
脚を投げ出して座っている綾香は。濡れたように輝く黒い瞳と上気した頬の色、
なんともいえず淫蕩な笑みを張り付けていた。
 …今の服装が、コロコロとじゃれて転がる集団ネコさんイラストのパジャマ
で、その笑みに不釣り合いなコトは確かである。が、このパジャマ姿に、葵の
警戒心を和らげるという特典が付いていることもまた、確かであった。
 ほへっと、なんだか拍子抜けしてしまって、廊下に突っ立っている葵。
「ほ〜らぁ、はーやくっ。葵ったら、こっちいらっしゃ〜い、よっ!」
 綾香はすっと表情を消して、普通にニッコリ。すっと葵に指し示す。絨毯の
上の籐のバスケットには、新品のお揃いパジャマとバスタオル、シャンプーに
石鹸に「へちまの皮」まで、おふろセット一式。
「明日はお休みだし。葵、お泊まりしてってもいーよね? ジツは今、旅行で
誰もいないのよぉ、これが」
「えっ? えっ? えっ? あの、あれっ…」
 さっきまでの怪異はいったい何であったのだろうと、目を白黒させてる葵。
お構いなしに続ける綾香。
「そこのドア、隣、私のバスルームね。悪いけど先に浴びさせてもらったわよ。
貴女もはやく行ってらっしゃいな。…同好会、葵ってば、いつでも一生懸命な
んだから。今日だっていっぱい、汗かいたんじゃないの?」
「あ…」
 更衣室に設備はあるけれど。あれだけ動いて汗の玉一つ浮かべない、そうし
てシャワーを浴びぬまま帰り支度を始めた綾香につられて、葵は汗を流しそび
れてたのだった。
 …やだっ、私ってば、汗くさいのかも。ひとたび考えてしまったら、恋に惑
わされた乙女のココロ、もーそればかりが気になって仕方ない。かあっと、恥
じらいに頬が熱くなる。
「は、はい! それじゃあ、お借りしますっ!」
 籐カゴを抱えて、あたふたとドアの向こうへ消える。

「ふふっ、かーわいーの。…どーせまた、汗かくことになるんだけどね」

 立派な浴室である。ぐるりと環になって背中の流しっこが出来そうな広さ。
三、四人を肩まで沈めてもなお余裕のありそうな浴槽には、なみなみと湯が張
ってある。
 プラスチックのイスに腰掛けて。ワタアメみたいに泡だらけ、念入りにごし
ごし、身体を洗う葵。
 このあとに、百万分の一ほどの確率で起こっちゃうかもしれないイケナイコ
ト、幾度となく打ち消しても、やっぱりモヤモヤと浮かんできてしまう。そん
な自分が恥ずかしくって、汗の匂いを消し去るのに一生懸命になっている自分
が莫迦みたいで。
 心拍数、どきどき。真っ赤な顔して、それでも、ごしごし。
「…」
 あまりに熱心すぎて。…抜き足、差し足、忍び足、背後に迫り寄る白い影に、
気が付きもしない。
 葵が両目をシッカリと瞑って、シャンプーで髪を泡立てた途端に。チャンス
とばかりに、ピトッと引っ付く。小さな背中に奇妙な弾力、並んだ二つの圧力。
「ひゃあっ!」
 思わず開けてしまった目に泡が沁みる。慌てて閉じる。
「…………」
(貴女の身体、とても綺麗です…。お肌は、ツヤツヤしてますのね…)
 綾香と同じ声が、葵にしか聞こえないくらいのか細さで囁きかける。
「あ、ああ、あああ、ややや…」
 綾香さんと言いたいのだけれど。パニックでノーミソがヒキツケ起こして、
言葉にならない。
「………」
(腿も、腕も…キュッと締まっています。カッコイイですよ…)
 石鹸とシャンプーの泡の中、慣れた手つきで撫で回す、綾香の声をした誰か
のひんやりと冷たい手。いろんな理由でカッカと火照った葵の肌がそう思わせ
るのかもしれないし、実際、その手の持ち主の体温が低いのかもしれない。
「やっ、やめ、やあっ、やめ…、あ、あんっ」
 視覚を封じられた(…と言うか、自分からドツボにハマった)葵に、彼女は
やりたい放題である。重点的に胸を攻めたり、おなかをくすぐり、腿の付け根
のきわどいあたりを軽く流して、形良く整ったお尻の方へと…。二つの掌、十
の指先、変幻自在に葵の柔肌を滑っていく。女性ならぬ身の記述者にはイマイ
チ判らないけれど、その動きはいい加減なようで、繊細に、的確に、ツボを押
さえているらしい。
「……………」
(おなか、柔らかい…。あの…少しだけ、お尻を浮かせてくださいね…)
 イスを外され、冷たいタイルの上にペタッと尻餅をつかされて。後ろから抱
きかかえられるような格好で弄ばれる。
 初めのうちはジタバタと、その身をよじって抵抗していた葵だったが。その
動きはだんだんと変化していく。
「う、ぁう、や、や、ぁ…」
 じっとしていられないから。快楽は甘く溶け込んで、葵の未熟な性感帯にシ
ッカリと根を張り巡らす。もはや逃れがたいリズムに合わせて、自分から、ふ
るふるゆらゆら身を震わせている。動かないではいられない。
「んっ…、あぁ、ん〜、ん〜ぅ」
 喋ろうにも言葉にならない。途切れ途切れに喘ぐだけ。

 クチュリクチュリと水っぽい音、葵の耳にはヤケに大きく聞こえる。
 スリスリスリと冷ややかな指先、遠慮なしに動く。葵自身、それほどに激し
く触れたことはないってくらいに。
 葵はガクガクと、その身を揺すった。
 つうーっ…と。雫、一滴(ひとしずく)。
 水滴よりも、ゆるり、とろりと、浴室のタイルに滴(したた)り落ちる。
 だんだん…、そして、止めどなく…。

               ∴ ∴ ∴

 湯船の中でさえも、執拗なマッサージは続いた。…んで、初(うぶ)な葵の
アタマには、ピンクの霞(かすみ)がかかりっぱなし。
 心持ち、フワフワ。うるうると潤みっぱなしの瞳、軽く半開きの口。

 脱衣室にて。
 その技術(テク)で葵の快楽を存分に引き出した彼女、自らは濡れそぼった、
透けるように白い裸身のままで。放心状態の葵をバスタオルにくるむ。
 そして、着せ替え人形のように。下着から、パジャマから、丁寧に着せてい
く。オマケに髪に櫛まで入れてやって、整える。
「…」
 醒めた目でフッと笑って。
 いきなり。無言のまま、すいっ…と、出ていった。

「あ…」
 ホケホケッとしていて反応の遅い葵。
 慌てて、目の前で閉じた扉を開けて…。
「あ、…え?」
 そこは当然、綾香の寝室である。正面のベッドには、葵がこの部屋を去る時
と寸分違わぬ格好の綾香。気怠げに脚を投げ出し、ただヘッドホンをはめて小
刻みに身体を揺らしているところだけが、違う。
 閉じていた眼を、フッと開く。ニコッと微笑んで。
「どう?身体、暖まった?」
 濡れたまま、裸のままの綾香センパイは…? 葵、まるっきり狐につままれ
たような気分。不可思議さをゆっくり噛みしめる。ぼやけたアタマで考える。
 扉が閉じて、そして開くまでに。一分となかったはずで。そんな莫迦な、で
ある。
「え、あれ、うそ…」
「あらあら、どーしたの? 葵ったら、のぼせちゃったのかしらね?」
 悪戯に成功した子供のように、クスクスクスッと笑っている。
「だって、あの、のぼせたって…センパイ、ヤダ、だってお風呂に…」
「私はず〜っと、ここにいましたよ〜だ」
 クスクスのニヤニヤ。いつの間にかそのクスクスの含み笑いが、微妙に二重
奏となって響いているのだけれど。葵は気がつかない。
「葵ちゃんと気持ちいーコトしてたのは、私じゃないもん」
「えっ!?」
「正解、教えて欲しいかしら? …ほーら、もっと、そばに来て」
 葵、ついついふらふらと。二歩、三歩、ベッドへと近づいたところで。
 またもや背後から。誰かがひしっと抱き付いてきて、そのままベッドへとも
つれ込んだ。
 ベッドの綾香も、巧妙に葵にからみついて。喉元に唇を寄せて、赤い舌でペ
ロリと舐めあげる。思わず喘ぎで応えてしまう葵。
「答えは、こーゆーコトでした!」
 ハモる声。ベッドの上には、葵が一人、綾香の顔した娘が二人。揃って同時
に、葵の両頬にキスをする。
 微妙に違う顔。微妙に違う雰囲気。微妙に違う声。
「ここなんか、ど〜かしらね〜」
「ね? 気持ちい〜い?」
 お風呂場の時と比べて、二倍の攻勢で。もちろん葵には対処のしようもない。
どんどん、ペースにはめられて。
 快楽の底へと堕ちてゆく。半ば、自分から望んで。
 羞恥心と自尊心が、コワれてく。

 何時間、続いているのだろう。時間の感覚はすでになく。今の葵にあるのは、
絶えることない快感、それを貪っていたいという欲望の反復、尽きることない
衝動の継続。
「あふっ…、はふっ…、はうっ、ふっ…」
 金魚のように、口をぱくぱくさせる。手足、意思とは無関係、勝手に跳ねる。
流れ込んでくる快楽の情報量が多すぎて、苦痛に感じられる。
 ぽろぽろ、涙さえも、こぼれて落ちる。それをまた美味しそうに、ペロリと
舐めあげる綾香たち。
 そんなパニックしてる頭で、うすぼんやりと考えて。ひらめくように思いつ
く。
 葵の呟きは、ちゃんとした言葉になっていただろうか?
「センパイの…お姉さん…」
 夢うつつの中の記憶。葵は二人が答えるのを、聞いたような気がした。
「う〜ん、アタリなんだけど…」
「…んでも、ハズレなんだよね」

               ∴ ∴ ∴

 本邸の方から、ぶつくさと。何事かを呟きながら。
 パリッと決まった執事姿、老人が一人、歩いてやってくる。ものものしい黒
の鞄を抱えて。
「ぬうっ、何故にして、この私が…。芹香お嬢様と綾香様の影武者に過ぎぬロ
ボットなんぞの世話を…。莫迦息子がおかしなモノをこしらえるから…まった
く。…スキー旅行、ワシもお供したかったのう。昔取ったキネヅカ、白銀の海
の若○将と恐れられた華麗なる滑りの技、芹香お嬢様にご披露できたモノを…」
 年を取ると独り言が多くなると言うが、まったくもって有り難いことである。
 つまりはそう言う理由により、主人たちのいない館からは使用人たちも本邸
の方へ引き上げているので。
「旅行で誰もいない」
 という、綾香ではない綾香の発言は、ジツは間違ってないのだった。

 セバスチャン氏、ドアをバァーンと開け放つ。
「かあぁぁぁーーーーっ!!!」
 いきなりの大喝に、玄関ホールのあらゆるモノがビリビリと打ち震える。
「これっ! 奏子! 詩子! どこにおる! 定期検診の時間であるぞ! 出
てくるのだっ!」
 奏子(かなこ)と詩子(うたこ)。セリオベースの、芹香と綾香のダミー人
形。
 もともと、サボりたい綾香が出席日数の帳尻を合わせるために思いついたの
である。それを面白がった源五郎氏が、どこまで似せられるかという技術的限
界の拡張に熱意を傾けて。話を聞きつけた現会長が、未来の政財界において重
要な地位を占めるであろう孫たちの、安全対策への先行投資だ…と。そうして、
実現の運びとなった。
 億単位の巨費を投げ与えたというから、流石に大物はスケールが違うという
か、気前良すぎというか…。孫娘たちへの単なる溺愛とも言える。
 彼女たちは。外見よりもむしろ、より芹香な知識データベース、より綾香し
ている知識データベースの開発にこそ、金が掛かっていた。いかに「らしく」
振る舞えるか、「らしい」言葉を返すことが出来るか。
 常に彼女たちの3km圏内を、それぞれの「知識」を積んだ改造スペシャル
ボックスカーが付いて回る。容積的に内蔵が不可能と判断されたので。本体に
はベーシックな「知性」だけが存在する。
 そして、街の上空に打ち上げた幾つかの特殊バルーンを中継点としての、常
時コネクト。現状での衛星回線の使用は、時間差による微妙な違和感を生じさ
せるという理由からである。
 「知性」が「知識」を活用しているのか、「知識」が「知性」をコントロー
ルしているのか。その辺りの定義は開発者の誰もが「セリオベースの彼女たち」
になったことがないので、判定不可能なのであるが。
 まぁとにかく、そのようなワケなのであった。

「はぁ〜い」
 トントントントンッ。ロボット娘たちは足並みもピッタリ、並んで階段を駆
け下りてくる。
 ケロッとしたお顔。服装もしっかり、それぞれの学校の制服に身を包み。そ
の着こなしに、崩れた様子は少しもない。
 打算と計算から、愛くるしい媚びの笑み。さりげなくセバスチャン氏に向け
る。並の男なら、彼女らがロボットであることも忘れて、コロッと落ちるであ
ろう。
 しかし残念なことに、セバスチャン氏には通用しない。彼は芹香お嬢様の「類
い希(まれ)なる微々たる微笑」をこそ、崇拝の対象としているのだった。
 何を笑っておるのやら、…ま、箸が転げてもおかしい年頃であるからなと、
生まれて三週間足らずのロボット相手に見当はずれな感想を思い浮かべ、ただ
事務的に仕事を進めるだけである。
「よしよし、ちゃんと帰っておったか。先日のようなことでは困るぞ」
「もう、しませんよ」
「…ませーんよ、だいじょ〜ぶ」
 にへら〜っと、笑っている。むろんイヤガラセの作り笑顔。信用できそうも
ない。
 マルチタイプでもないくせに、あまりに人間臭いこの二体。オリジナルの姉
妹の声だけが彼女らのご主人様として登録されているので、それ以外の人間、
つまりセバスチャン氏には、強制力を行使する権限はない。
 あらゆる指示は「命令」でなく、「約束」または「お願い」というレベルに
なってしまうのだ。…よーするに、言うことを聞かないワガママ娘と、そのお
とっつぁんといった構図。
 二、三日前などは、帰宅せぬまま日が暮れて。思い思いに深夜徘徊、盛り場
をあちこちほっつき歩いて、おかげで大騒ぎになったのである。
 仕様の問題であり、まるきりセバスチャン氏のせいではないにしても。まが
りなりにも一応、管理を任された(よーするに、綾香に押しつけられた)立場
としては、万が一何か起きようものなら芹香お嬢様に顔向け出来ない。その憂
いと失望の視線を向けられるくらいならば、むしろ切腹をも辞さぬ覚悟。…と
まぁ、なんとも古風なご老体であった。
「そら、いつものように、腕を捲るのだ」
 なにしろ試作機である。常時、無線で動作状態を記録し続けるほか、定期的
にチェックプログラムを走らせ、その時点での完全なデータを取るのである。
その為のコネクタが、肘関節の内側に存在する。
 鞄の中身はノートパソコンである。背面に特製ボードが刺さっており、そこ
から、セバスチャン氏でも判るようにと、紅白に色分けされたコードが延びて
いる。これを接続すればOKなのだが。
「セバスチャン様、はい」
「…はい、どーぞ」
「こっ、これっ! お前たち! やめんか!」
 二人はペロッと、制服のブラウスと下着をまくり上げて、胸を見せようとし
たのである。白いオナカが、老人の目に眩しく映る。
「このっ、莫迦モンがッ!」
「あらら、お気に召しません?」
「…ませんか? 残念」
「んじゃあ、これでどうでしょう」
「…でしょう、ほ〜ら」
 すすすす〜っと、らしいポーズを決めながら。スカートの裾を引き上げて、
太ももを露わにしていく。作り物とは思えないほど艶めかしい。
「ぐぬぬぬぬっ! かあっ!」
 がちんっ。ごちんっ。怒り心頭の二連発、ついつい出てしまう、セバスチャ
ン氏の拳骨。…すると、途端に。
「いったいわね〜、セバスったらぁ。ちょーっとからかってみただけでしょ、
もぉ」
 ぷんぷんぷ〜んっ、と。オーバーに頭を押さえてみせる、勝ち気な娘。
「…………」
 微妙に瞳が潤んで見える程度、涙を滲ませる。叩かれた辺りにそっと手を添
えて、無言で、物悲しげに見つめかえす娘。
 詩子が綾香に、奏子が芹香に早変わり。ダミーの本領発揮である。
「ぬうぅぅぅぅっ…」
 こうなると、セバスチャン氏としてはめっぽう弱い。偽物だと頭では分かっ
ていても、強気に出られないのである。
「ぐむうっ、おぬしらっ、しかと覚えておれよぉ〜」
 くすくすくすっ。またもコロッと表情を変えて、二人の小悪魔はぺろっと舌
を出す。しっかりセバスチャン氏の反応を面白がっているのである、ロボット
のクセに。
 性格から、モラルから。しっかり、壊れてるのかもしれない。

               ∴ ∴ ∴

 その頃、綾香のベッドには。
 身も心もグッタリの汗ダク、おめめはぐるぐる、フワフワ桜色の夢の中をさ
まよっちゃってる葵ちゃん。
 タオルケットにくるまれて。
「はらほれひれはれ〜〜〜〜〜。 (*_*) キューッ 」
 今しばらくは、目覚めそうにない。


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