『求める気持ち』 〜 誰彼(たそがれ) 桑嶋高子 〜
高子は、まぶたを開いた。
暗闇の中で、半身を起こす。
まだ夜明けまで間があるのだろう、窓の外は闇に覆われ、透き通るほどの静寂に包まれ
ている。
ぞく、と背筋が震えた。
部屋の中に、妙な空気が澱んでうずくまっているかのような雰囲気を感じる。
しゅっと風を切る音とともに、何者かが高子の前に立ちふさがった。
「あっ……」
叫びかけて、高子は気づいた。
「……蝉…丸……さん……?」
視界を遮っているのは、蝉丸の逞しい腕だった。
そこから、小さな何かが、高子の脚の上に落ちてくる。
ぽた、ぽた、ぽた……。
寝着越しに、じわりと、濡れた感触が増えていった。
あたたかく、落ちてくる染み。その感触は、高子にとっては馴染み深いものだった。
「……っ。怪我、されてるんですかっ?!」
「大丈夫だ」
小振りの刀が、蝉丸の左腕に突き立っているのが見えた。
蝉丸の言葉とは裏腹に、出血も多く、かなりの怪我のはずだ。
「で、でもっそんな怪我じゃ……」
「……大丈夫だ。心配しなくてもいい」
慌てて血止めをしようとした高子を、蝉丸がその怪我をした手で制する。
そして、無造作に、刺さっている短刀を引き抜いた。
傷口から、多量の血があふれ出る。
だが、高子が思っていたほどには、出血の量は多くない。
ぽたり、ぽたり。
一定の間隔を保ちながら、その雫は高子の寝着へと落ち、しみこんでいた。
「このまま、動くな」
落ち着いたその声に、高子は意外なほど素直に頷いてしまう。
「……岩切、引け」
蝉丸が、闇に向かって語りかけた。
「御堂は傷を負って引いた。襲撃は失敗だ。これ以上お前がいても、何の益もない」
ひゅん。
返事の代わりに、闇の中から光が走った。
円弧を描いて下りてくる刀を、蝉丸が手にした短刀で刃を合わせて受ける。
ぎりっ。
弾け飛んだ火花が、ほんの一瞬の間だけ、部屋の中を明るく照らした。
蝉丸と対峙している相手は、高子が思っていたよりも小柄な侵入者であった。
それが、蝉丸と互角に渡り合っている。
――いや、蝉丸が片手のみで戦うことにより、互角の闘いになっているというべきか。
腱を傷つけたのか、蝉丸の左手首から先は、その身体の動きに付き添うようにして動く
だけだった。
おそらく、ものを持つことも出来ないであろう。
「引け、岩切」
蝉丸が、再び相手の名を呼んだ。
「お前は片手。完全体とはいえ、互角だ。引く必要はない。……それに」
ひゅんと、風を切る音がした。
鈍い音ともに、高子の顔に飛沫がかかる。
あたたかい。かすかに唇に触れた箇所から、ざらりとした鉄の味がした。
「ぐっ……」
「戦闘時に、守るべきものがあるというのは致命的な弱みだ」
岩切の放った一撃が、蝉丸の左腕に再び深い傷を負わせていた。
肉が切断され、傷口から白い骨がかすかに見えている。
高子に向かって振り下ろそうとした刀を、蝉丸が左腕で受けたのだ。
切り落とされこそしなかったものの、多量の出血を与える一撃だった。
血はすぐに止まるものの、何度も同じような傷を負わされた場合、血液に含まれる仙命
樹の流出量から死に至ることは十分考えられる。
「ふん……、麗しい人情ごっこではあるがな」
「そうでもない……」
まだ止まりきっていない血液が流れる左手をだらんと下げたまま、岩切と対峙する。
蝉丸が、小さなモーションで左手を振った。
血しぶきが、闇の中に舞う。
「っ……」
それに気づかず、岩切が、その飛沫を浴びて顔をしかめた。
目に入ったのか、二三度、目をしばたたかせる。
「動きを止めるつもりか……?」
愚かな、と呟いて、岩切は新たな一撃を放った。
その攻撃から連撃を発し、息もつかせぬほどに攻め立てていく。
蝉丸は、防戦一方になっていた。
むしろ不利な状況を承知で、あえて守勢に回っているようにも見える。
金属の打ち合う音と、触れた瞬間に発する火花が、何度も何度も闇の中に浮かび上がっ
ては消えていった。
長い攻防のあと、二人の動きが前触れもなく、止まった。
「くっ……」
岩切が、身を引いた。
ぐらりと、その上体が揺れる。
「ば、馬鹿な……そうか、血が……」
小声で呟いて、頭を軽く振る。
「……岩切、そろそろ効いてきたはずだ。その身体では闘うことは出来まい」
「まだ、まだだ……」
その答えとは裏腹に、じりじりと、引くようにして身を下げていく。
刹那、纏いものが身体に触れた感触が、信じられないほどの快楽を岩切の身体に与えた。
「ふはっ…ぁ……」
切なげな吐息が漏れ、じんと火照る身体を制御しきれなくなる。
不自然な姿勢で、何かをこらえるように、息が荒くなっていた。
「く……、勝負は預けるっ」
身を翻して、岩切は去った。
困惑気味の足音が、少しずつ小さくなっていく。
その気配を追い、敷地の外へと去ったのを確認して、蝉丸はゆっくりと息を吐いた。
蝉丸の血がもたらした催淫効果が、岩切の戦闘能力を奪ったのだ。少なくとも、結果的
にはそういうことになった。
――だが。
それは、別の問題を孕んだ手段でもあった。
「……大丈夫か?」
「…あ……」
両脚を抱えるようにしてベッドの上に座った高子が、目の前に立った蝉丸を見上げる。
その瞳は、濡れて光っていた。
さらに力を入れて、脚をぎゅっと抱え込む。
「んっ…」
ぶるっと、高子が身体を震わせた。
「…はぁ……」
それに続けて、艶やかな吐息を漏らす。
「蝉丸、さん……」
何かを訴えかけるように、見上げた瞳が潤んでいた。
それを見ただけで、蝉丸は全てを覚悟した。
高子は、欲情しているのだ。血を浴びたことにより、この前と同じように催淫効果が働
いてしまっているのだろう。
こうなってしまっては、手だては一つしかない。
「すまん、迷惑をかける」
蝉丸は、高子の首筋に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、高子の全身にしびれるほどに甘美な衝撃が走る。
「……いえ、嬉しい、です」
これからおこなわれることに対する期待と、蝉丸に対していとおしく思う気持ちが、混
ざり合って狂おしいほどに高子の心をかき乱していた。
肩から背中へと、手のひらを滑らすようにして撫でられる。
触れられた箇所のうぶ毛が全て逆立つような、ぞくりとした快感が走った。
寝着の中へ差し入れられた蝉丸の手が、肌の上をまさぐっていく。
「ひゃうっ」
胸の固く尖った突端に、蝉丸が触れた。
ぐに、と指の腹で押しつけるように、刺激を加えていく。
それと同時に、豊かで柔らかな胸を、やや乱暴に手のひらでもみしだいた。
「ん…んん……」
前の時と同じように、高子はその刺激だけで十分なほど高まっていく。
蝉丸さんだから、なの――?
答えのない問いが、高子の頭の中でぐるぐると回っていく。
「…ふあっ……」
いつの間にか、寝着の前ははだけられ、ブラは外されていた。
外気と蝉丸の目に触れている胸に、何度も加えられる刺激。
「……あっ…あんっ………」
蝉丸の顔が、高子の胸に寄せられた。
息がかかるほどに近くで、豊かなふくらみに埋まるような恰好になっていた。
舌先で、蝉丸は固く尖った突起を舐める。
「きゃ…はぁっ……」
カリ、と口に含んだ突起を軽く噛んで、舌先で転がして、吸って……。
高子を高めるために、蝉丸がしてくれていた。
「……っ………」
気付けば、蝉丸の手は、下着の中へと侵入していた。
茂みの中から、高子の一番敏感な場所へと指を伸ばす。
指先が触れた瞬間――。
くちゅ、と濡れた音が立った。
「あ……」
高子が、喜びの声を上げる。
電流が流れたように、その身体がびくんと揺れた。
「あぁ………ぁ……」
ずっと待ち望んでいたものを得たかのように、安らかな吐息が漏れる。
「すぐに、楽になる」
蝉丸の指が、高子の感じる場所を探し当てようとして動き回った。
「…ん………はぁっ……」
その刺激すらもが、高子にこれまでに感じたことのないほどの快感を与えていく。
身体の内から、あふれるようにとめどもなく愛液が漏れてくる。
これほどの量は、初めてだった。
「苦しいのか?」
少し眉をひそめて、蝉丸が聞いた。
「……っ」
高子が、驚いたように首を振る。
苦しいわけではなかった。
ただ、身体が、切ないほどに蝉丸を求めているだけだ。
「あ、あの……」
沸き上がってくる欲望を意志で抑えながら、自分を高みへと上らせつつある指に、自ら
の手を重ねた。
「お願いです……わたしのこと、蝉丸さんのものに……してください」
そう、告げる。
自分の言葉に、多少の恥ずかしさと、これ以上ないほどの悦びを感じながら。
「……いいのか?」
「そう、なりたいんです」
いまこの場で与えられた快楽のためではなく、それまでの蝉丸への想いを込めて、高子
は肯いた。
真剣な眼差しが、蝉丸を見つめていた。
それに、蝉丸は、言葉ではなく、口づけで答えた。
「んっ……」
ほっとしたような、甘えた声が、蝉丸の耳に届く。
それを確かめて、蝉丸は自ら服を脱いだ。
すでに、天を衝くほどに猛っているものが、外気にさらされる。
その蝉丸の姿を、目にして。
自分で感じてくれていたのだと、高子は、奇妙な安心を感じた。
「……高子」
蝉丸が、初めて名を呼んだ。
「はいっ」
うれしさに、涙が出そうになる。
高子は、ゆっくりと蝉丸に身体を開いた。
恥ずかしさよりも、次に来るであろうことへの期待が、高子の心を占めている。
それに覆い被さるようにして、蝉丸が身体を重ねていった。
先端が、高子に触れる。
「……ん………」
蝉丸の背中に手を回して、ぎゅっと、高子はしがみついてきていた。
少しだけ荒い息で、目を閉じた高子の顔が、月明かりに美しく映える。
ぐ、と蝉丸は腰を進めた。
ぬめるような熱い感触の中へと、入り込んでいく。
「……あぁぁ…………」
ずっと、高子が待っていた瞬間。
喜びのあまり、それだけで達しそうになっていた。
男を迎え入れるのは、初めてではなかった。
だが、これほどまでに高ぶったことはこれまでにない。
「…きもち……いい、です……」
意識することもなく、高子の身体は蝉丸を求めて動いていた。
柔らかな襞で、強く弱く締めつけていく。
少し動きを加えるだけで我を忘れるほどに、高子の中はあたたかく蝉丸を包み込んでい
る。
その中を、蝉丸は何度も往復していった。
「はあっ……はあっ……」
蝉丸の息が、荒くなる。
ぐちゅ、くちゅ、にちゅっ……。
触れあった箇所が離れ、また近づくたびに、絡み合った音が漏れていく。
「あっあっ…あっ…蝉丸さんっ」
高子は、我を忘れて身体を揺らしながら、いとしい者の名を呼んだ。
意識して押さえようとしても、どうにもならない衝動に突き動かされて腰が動き、蝉丸
を求めてしまう。
「き…気持ちいいんですっ……こんなの、こんなのって…」
蝉丸が動くたびに、それに倍するほど自分の身体がはしたなく動く。
いまこのときだけは、自分が驚くほど欲情していることを、高子は自覚していた。
「んっ…んっ……」
蝉丸に出会うまでは、こんな自分は存在していなかったのを思い出す。
ここまでの快楽と、相手に感じる愛情を、高子は知らなかった。
――そう。つい、数日前までは。
「好きなように感じていい。もっと求めたいのなら、俺を求めてくれ」
蝉丸が、その高子の身体を、自らの中に抱え込むようにして抱きしめている。
無骨な指先が、身体の揺れにあわせて、高子の胸の突端を刺激していた。
手のひらが、こねまわすように胸のふくらみをつかむ。
じんと、しびれるような感覚が走った。
「あっ、蝉丸さんっ、そこは……」
あふ、と高子の唇から、耐えきれずに吐息が漏れた。
その胸は、まるで蝉丸のためにあつらえたかのように、ぴったりとその掌の中に収まっ
ている。
「だ、だめですっ…もう、わたし……」
何度目だろうか。
悲鳴のようですらある高子の高ぶった声が、真っ暗な部屋の中に響き渡った。
あるいは、その声は部屋の外にまで漏れていたかもしれない。
二人とも、行為に没頭していて、そのあたりに気を配ることも忘れていた。
暗闇の中で、全身の汗が、かすかに射し込んだ月明かりを受けて光っている。
「もう少し……待ってくれ」
蝉丸も酔いしれていた。
最後の高みを目指して、自らの腰を何度も何度も突き込んでいく。
激しい動きに、高子の豊かな双胸が、追い立てられるようにして揺れた。
「あっ…あんっ……はあっ…」
シーツの上に力無く投げ出された腕が、かすかに動いた。
指先だけがわずかに動いて、柔らかな布地を握りしめる。
高まった自分の感覚を逃すまいとでもするように、高子は何度となく布地をつかまえた。
「もう、いいか……?」
その指先を上から、蝉丸の大きな手がにぎりしめた。
不思議なことに、まるで神経をむき出しにしているかのように、その触れられた箇所か
ら高子の全身に快感が走る。
「……はいっ………」
かろうじてそれだけの言葉を紡ぎ、次の瞬間には高子は昇りつめていた。
白く視界を覆い尽くすほどに光があふれて、身体の奧からじんと沸き出してくる快感の
波に、飲み込まれていく。
「あっ……ああぁ……ぁ…あっ……ぁ……」
大きな波が、間隔をあけて、何度も押し寄せてくる。
高子の身体がそれに反応したのだろう。
蝉丸を包み込んでいた柔らかな襞が、断続的に収縮した。
それが蝉丸の末端に信じられないほどの快感を伝え、それに反応して、大きく猛る。
「……くっ、いくぞっ」
次の瞬間。
激しい動きとともに、蝉丸は高子の体内に放っていた。
「あ……蝉丸さんの、が……」
途切れることなく流し込まれてくるものが、高子の膣壁の内部を何度も叩いていく。
そのぬくもりが、蝉丸の自分に対する気持ちであるように感じられて、高子はこれ以上
ないほどの喜悦を感じた。
「あったかい……」
そして、その喜びが、新たな快感となって高子を再び高みへと導いていった。
膣壁がきゅうっと収縮し、中に迎え入れている蝉丸への締めつけが再び生じる。
「があっ……」
言葉にならない咆吼を上げて、蝉丸は目の前の柔らかな身体に手を触れた。
きめの細かい、なめらかな肌が指先をくすぐっていく。
それが、吐き出したばかりの欲望に、新たな力を与えた。
高子の片足を抱え込み、再び挿入していく。
蝉丸のものは巨大に猛り、少しも衰える気配を見せていない。
その先端が再び触れたとき、まるで電流が走ったかのように、高子の身体は震えた。
ぞくぞくと、背筋を走り抜けるような快感とともに、蝉丸が入ってくる。
「あ…あ……あぁ………ぁ……」
いとしい者を迎え入れることに、恥ずかしさやためらいはなく、ただ喜びのみがあった。
わけも分からないまま、蝉丸の首に手を回して、強く抱きしめる。
一番奥深くまで繋がった状態で、蝉丸は動きを止めた。
抱きついてくる高子の身体を受け止めながら、内部のかすかに動く感触を楽しんでいた。
ぐいぐいと、押しつけるようにして高子の最奥の部分に刺激を与えていく。
「……ひゃ…ぁ……ん………」
初めての刺激に、息も忘れるほどの快楽を得てしまうのは、仙命樹の効果であったのだ
ろうか。
それと自分でも意識せぬままに、高子の両脚は、蝉丸の腰を絡め取っていた。
永遠に満たされることのない欲望を求めるかのように、ぎゅっと、自分の身体へと引き
寄せる。
ぐっ、ぐっ、ぐっ。
身体の中に打ち込まれてくるくさびが、その回ごとに新たな快感を掘り起こしていく。
「…はあっ……あぁぁっ……んっ…ぁ…」
いっぱいに両脚を広げて、はしたなく蝉丸を迎え入れながら、高子は二度目の絶頂を迎
えようとしていた。
その脳裏に、浮かぶのはこれまでに蝉丸と過ごしてきた日々と……そして、これから過
ごしていくであろう日々。
――予感があった。
快楽の波におぼれながらも、この行為によって自分の中に生命が宿るであろうことを、
高子はなぜかはっきりと感じていた。
それは、不安と、喜びとなって、高子の身体の中にあふれている。
「ひ……あっ……」
なにが引き金となったのか。
次の瞬間、高子は昇りつめた。
「ぐっ……」
少し遅れて、蝉丸も達した。
高子の体内に、先ほど放ったばかりとは思えないほど、多量の精液を放っていく。
びゅくん、びゅくっ、びゅくっ……。
身体の中で蝉丸が跳ねるたびに、絶頂後の小さな波を受けるかのように、高子の身体に
しびれるほどの快感が走った。
「……ん…………」
果てて、倒れ込んできた蝉丸の身体を、ぎゅっと抱きしめる。
逃すことがないように、幸せをかみしめるように、それを抱え込んでいく。
「蝉丸、さん……」
いとしい者の、名を呼んで。
高子は、目を閉じた。
「わたし、幸せです……」
かすむようにその声は小さくなり、やがて、規則正しい寝息へと変わる。
蝉丸は、そっと高子の頬に触れた。
切ないほどに、高子のことがいとおしく思えた。
――だが。
「……すまん」
申し訳なさそうに、蝉丸は目をそらした。
その言葉に、やがて来る別離を予感したのか。
高子の頬に、涙がひとすじ光って、消えた。
《終》
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